「恋愛小説家」というイメージについて
――これは大変な反響を呼びました。デビューして間もないのにものすごい力作を出したなという印象がありました。書き上げたことで自分の中に変化が生まれたりしましたか。
島本 しばらくは小説の世界から抜け出せなくなりましたね。ずっと引っ張られている感じで。でもこれで読者の方が増えたのはすごく嬉しかったです。自分でもやっぱり、本当に思い入れのある小説です。
――これで恋愛小説家というイメージも強まりました。
島本 『ナラタージュ』は本当に恋愛小説のつもりで書きました。でも、それからは実はあまり意識していないです。今までの自分の小説を振り返ると、「これが恋愛小説」というものはそんなに多くないんです。過去とか家族とかが絡む場合が多いですし、疑似家族っぽかったり、相互依存っぽいところもあったりして。読んだ方が「これは恋愛小説だ」と思ってくださるのは嬉しいんですけれど、自分ではいまだに、そういえる恋愛小説を書いているのかな、という気もします。
――「シルエット」や『生まれる森』、そして次の『ナラタージュ』はひとつの恋が終わったところから始まって、そこから再生していく話ですね。今までインタビューのなかで何度か「自分が10代の時に本に助けられたから、自分もつらい時に手に取ってもらえるようなものを書きたい」とおっしゃっていましたが。
島本 そうですね、基本的には再生を書きたいという思いがあります。もともと自分が好きで読んでいたのもそういう本でした。
本当にきつい時、読める本と読めない本があるなって思うんです。あまり重いもの、暗いものはつらい時には読めない。でも人を救おうとして書かれているものや、逆にもっとすごく柔らかくてフラットなものなら読める。人を楽にする小説ってあるんですよね。
――『ナラタージュ』をドーンと出した後が短篇集の『一千一秒の日々』(05年刊/のち角川文庫)。これは連載で少しずつ楽しく書いていった感じでしょうか。大学生たちの群像劇でもあって、美少女に好かれているのに気付かないちょっと太めの男の子の針谷くんとか、コミカルな話もありますね。
島本 自分が大学生だったので、大学生の話が書きたいなと思って。『ナラタージュ』で大きな長篇をバーッと書いたので、この時は余計、軽めのものを書きたい気分がありました。