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呼び起こされた「ビッグバン打線」の記憶

 しかし、東京ドームは狭いと思った。今、あらためて見ると「ここでやってたのか〜」としみじみする。左中間右中間のふくらみがないから、中距離砲のクリーンヒットが入ってしまう。涌井自身が「ホームランが出やすい球場ということを意識しすぎた。全部、僕の投げミス」とコメントしたように、投手はつい神経質になる。

 1990年代、閑古鳥が鳴く東京ドームをどうにかしたいと球団フロントから相談を受けた。僕は打線に愛称をつけたらいいと提案した。当時、僕は文化放送で朝ワイドのパーソナリティーをしていて、番組冒頭にファイターズ応援コーナーをこしらえていた。そこで仕掛けたのが「ビッグバン打線」だ。ファイターズはまだ認知度が低く、売りが必要だった。どこからでもホームランが飛び出す打線をアピールしたのだ。

 その後、広い札幌ドームに移転してファイターズはディフェンスのチームになる。俊足の外野手が花形のチームだ。「1試合7本塁打」の球団タイ記録は懐かしい「ビッグバン打線」の記憶を呼び起こしてくれた。

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