乗り越えられない試練もある
年寄りになってからの全身麻酔を必要とする手術は、痴呆を加速させることが多い。体は元気になりましたが頭は呆けました、というのが一番始末が悪い。完全に呆けてしまえば、本人は苦しくないかもしれないが、介護する家族は大変である。それで、元気なうちに老人ホームに入居しようかということになるのだろう。
完全に呆けてしまえば、無敵になってしまうのかもしれないが、呆け始めたことを本人が自覚していると、かなり恐ろしいらしい。特に、若年性アルツハイマーの発症期は、本人にとっては相当な恐怖であるようだ。つい最近まで、何気なく出来たことが、どうも上手く出来ない。近くのスーパーから自宅への帰り道が分からなくなった。今日が何曜日かよく分からない。こうなると、頭が真っ白になって、気が狂いそうになるというのはよく分かる。最近も、呆けてしまった妻の呆け始めた頃の手帳を見たら、子供の名前や孫の名前を毎日毎日書いていたという話を聞いた。少しでも呆けを遅らせようと涙ぐましい努力をしていたのだと思うと切なくなる。
しかし、残念ながら努力をしてもアルツハイマー病の進行を止めるのは難しい。白血病を発症した若い水泳の選手が「神様は乗り越えられない試練は与えない」との聖書の言葉を引用して話題になっている。この選手はまだ若く、恐らく治癒すると思うし、治癒してほしいと思う気持ちに偽りはないが、乗り越えられない試練もあるのだ。特に歳をとってからの試練は、はっきり言って十中八九は乗り越えられない。
この世で乗り越えられない試練でも、神や仏を信じて、あの世に行けば乗り越えられると思って、心の平穏を得る人は幸せで羨ましい限りであるが、神も仏もあの世も信じていない私にも死期は刻々と近づいてくる。さてどうしたものか。とりあえず酒でも飲むか。