「ダンスは私にとって完全なるアート、芸術です。私の運命はバレエ以外にない。それは明らかなことですから、今回のガラ公演のタイトルにしました」

 パリ・オペラ座で長きにわたってバレエ界を牽引したマニュエル・ルグリ。親日家として知られ、数々の伝説的舞台を日本でも実現してきた至宝が今夏『ルグリ・ガラ~運命のバレエダンサー~』を開催する。2010年にウィーン国立バレエ団の芸術監督に就任して以来、後進の育成に力を注いできたルグリが、スターのみならず若手の精鋭たちを連れて、特別なプログラムを披露する。

「今回、私のバレエ人生で様々な節目になってきた作品を皆さんにご紹介します。例えばAプロの『ライモンダ』は86年にメトロポリタン歌劇場でエトワールに任命された記念碑的作品です。ちょうど(シルヴィ・)ギエムと踊った時だったんですよ。『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』や、ギエムとのペアで踊った『グラン・パ・クラシック』なども、これまで日本の皆さんに何度か観て頂いた特別な作品です」

ADVERTISEMENT

 師ルドルフ・ヌレエフから21歳でエトワールに任命された当時、実はこんな“フライング”事件があった。

「任命に遡ること半年前、モーリス・ベジャールがパリ・オペラ座で『アレポ』という作品の初演を行ったんです。そのカーテンコールでベジャールが私の手をとり、『彼はエトワールになりました!』と宣言した。会場は沸きましたが、当時の芸術監督はヌレエフです。いやいや、私は任命してませんよという報道が流れて……、嘘の任命劇になってしまった。だから半年後、今度はニューヨークでヌレエフ自身から正式に任命された時も、最初は信じられなかった(笑)」

 反逆者、気まぐれ、大スターといったイメージで語られやすいヌレエフだが、何よりも寛容な人だったという。

 

「若い才能を畏れることなく愛する人でした。彼自身はだんだん身体能力が低くなってきた時期に、ギエムや私、ローラン・イレールといった若い才能を愛し、後押しすることを厭わなかった。私が飛び級でエトワールに任命されたのは、その後の成長への大きな励ましが入っていたと思います。それはある意味とても賢いやり方で、私がウィーンで気をつけていることは、若い人を待たせすぎるといざ任命された時にもう下り坂になってしまうかもしれないということ。誰かに“賭ける”思いが飛躍のきっかけになるんです」

 多彩な国籍のダンサーが親元を離れて集うウィーンでは、オペラ座と異なる文化も多く、ベストな育て方を模索した。「今後、彼らを頂点にまで連れて行く」とルグリが断言する若き才能をぜひ劇場で目撃してほしい。

マニュエル・ルグリ/1964年、パリ生まれ。80年にパリ・オペラ座に入団し、86年にエトワールに昇進。ルドルフ・ヌレエフに師事した最後の“ヌレエフ世代”の1人として、古典作品からコンテンポラリーまで多方面で高く評価されてきた。2009年に同バレエ団を引退、翌年ウィーン国立バレエ団芸術監督に就任。

INFORMATION

『ルグリ・ガラ~運命のバレエダンサー~』
8月22~25日 東京文化会館大ホール
問合せ0570-550-799(キョードー東京)
http://www.legris-gala.jp/