(1)階段の「上と下」
まずは「階段」である。序盤、寄生の第一歩として学歴を詐称し、パク家の長女ダヘの家庭教師に任命されたギウは家を出る。本作ではじめて階段があらわれるのはこのシーンで、ギウは家から階段を上がって歩道に出る。やがて坂を上り、到着したパク家のインターホンから邸宅のドアまでは、また階段が存在する。家にあがったのちも、ダヘの部屋にいくためには階段がさらにあらわれる。いったい、スタート地点のキム家とはどれだけ高低差があるのやら、と思わせられるが、こうした過程が描かれることで、キム家にとっての「雲の上の存在」としてのパク家が強調されている。
地上へと続く階段を通して、「上」と「下」の生活の格差があることが読み取れるのである。
(2)ベッドの「上と下」
物語の軸となる“パク家のある秘密”は、ちょうど劇の中盤あたりで明かされることとなる。その重要シーンでは、キム一家はパク一家の留守に、豪邸で好き放題くつろいでいたものの、予定よりもその帰還が早まったことにより、キム一家は家政婦として留守番を任されていたチュンソクを除き、家のどこかに隠れる必要に見舞われる。そしておのおの、ベッドや床のくぼみに隠れることになるが、何も知らないパク家の人々は、その上(に該当する地点)でくつろぎ、夫妻にいたっては性行為にふけろうとする。いつ見つかるかわからないという緊迫感(キム家)と、忙しない雑事から解放されたくつろぎ(パク家)という心情の対照性も、この「上」と「下」の断絶として、また印象的である。
また、上と下という「縦」ではないが、『スノーピアサー』から受け継がれたかのような、「横」の断絶も『パラサイト』には存在する。
(3)室内と室外
“パク家の秘密”が明らかになった夜、パク家の息子ダソンはかねてより夢中になっているインディアンの格好をし、庭にはったインディアンのテントで眠りにつこうとする。いっぽう、室内のパク夫妻も眠りにつこうとするが、ダソンとパク夫妻は透明なガラスの大窓で隔てられており、この配置は象徴的である。
インディアンとは言うまでもなくアメリカの先住民族であり、ヨーロッパから移住してきた白人たちに迫害され、辺境へ追いやられていった民族である。「Everybody」など会話に適宜英語をまじえ、アメリカナイズされた資本主義のもとに生きるパク家とは境遇からして対照的であり、ガラスの大窓をへだて、アメリカから伝播した資本主義の恩恵を受けた家庭と、アメリカの成立にともなって駆逐された民族という、対照性があらためて強調される。「室内」と「室外」という違いも、その強調に寄与していることは言うまでもないだろう。