それから一旦は俳優業から足を洗い、建設会社に就職して約1年半、工事現場で働きながら生計を立てた。そんな松重を芝居の世界に呼び戻したのが、蜷川スタジオの1期先輩の勝村政信だった。勝村に説得されて、1ヵ月仕事を休んで舞台に出演したのち、勤務中に転落事故に遭って入院、会社側とぎくしゃくしたのをきっかけに、俳優に復帰することになる。このころには結婚して生活の重さを感じるようになり、商業演劇への違和感など変なこだわりもなくなっていたという(※3)。
190cm以上なのに189cmと過小表記
俳優として再デビューすると、映画やドラマにも出演し始める。松重は身長が190センチを超えていたが、現在とは違って当時、俳優にとって高身長はデメリットしかなかったので、公式プロフィールでは189センチと過少表記した。そのため、衣装合わせには必ず自前のスーツを持参して行くはめになる。時代劇の場合はそうもいかず、《つんつるてんのハカマを、膝の上あたりできつく結ばれて、真っ直ぐ歩くのもままならない》状態で演技をした(※8)。ちなみに後年、腰痛で整形外科に行き、念のためMRIを受けたと
演じる役は、映画やドラマに出始めた当初はやはりコワモテのヤク
初期のコワモテのころとくらべると、最近の松重の役柄は全体的にどこか丸くなったような印象も受ける。井之頭五郎を演じるときこそ髪を黒く染めているが、数年前からほとんどの作品にナチュラルな白髪頭で出演し、《これからは老人役をやっていくのが楽しみですね。そのためにも、僕自身が元気な老人でいたいです(笑)》とも語っている(※10)。そんな松重に、《若いボクサーの様にハングリーで高貴だった昔の君を忘れないで欲しい》と呼びかけるのは、前出の中根公夫だ(※6)。だが、15歳のときにイギリスのパンクバンド、セックス・ピストルズのレコードを聴いて、「何かをやってみたい!」と血が騒いだのがそもそもの原点という松重は、けっしてパンク精神、ハングリー精神を忘れたわけではない。それは役者として大事にしていることを訊かれたときの次の回答からもあきらかだ。