昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「まったく想像できなかった」古川真人さんが大学中退から6年後に、“島の物語”で芥川賞作家になるまで

『背高泡立草』芥川賞受賞インタビュー

2020/01/18

 気負わず飾らぬ人、のようだ。

 既報の通り、第162回芥川賞を受賞した古川真人さんである。1月15日夜の受賞会見に臨んだあと、会場のホテル内で選考委員らと顔合わせ。シャンパンで乾杯するとほどなく、近隣で用意された祝賀会の席へ移動した。

「お酒はもともと好きで、ふだんはよく飲むんですが……」

 

 この日は0時を回るずいぶん前には、早くも帰途についた。というのも、

「周りからかけていただく言葉が一切、頭に入ってこなくなってきてしまったので。どうもお酒ではなく、たくさんの人と一気にお会いしたことに酔ったみたいでした」

慣れないネクタイを結んで壇上へ

 派手なふるまいが得意でなさそうなのは、受賞会見のやりとりでも垣間見られた。現在の心境を問われれば、

「アワアワしています。なんでこうなっちゃったんだろう、自分はこれからどうなるんだろう、というのが率直な気持ちで、うれしさはまだ湧いてきていません。ただ、作品が本になるたび喜んでくれる人がいて、その方々が受賞のことも喜んでくれるのだとしたら、よかったなと」

 そう控えめに語った。

 ふだんはラフな格好で過ごすので、会見に臨む直前に持参したネクタイを結ぼうとするもうまくいかず。同行していた編集者の助けを借り首元を整えて壇上へ出るも、

「革靴が痛いです。履き慣れていないので」

 とマイクを通して白状してしまった。語り口や物腰を含め、いたってマイペースなのである。

 会見翌日の午後に改めて話を聞くことができたのだけれど、時間が経つにつれ実感は増してきただろうか。

「いえ、やっぱりまだあまり。でもそういえば先ほど、ふだんはふざけ合うばかりの中学校の同級生から、ストレートな褒め言葉が書いてあるお祝いのメールをもらって、そのとき『ああ俺、ほんとに受賞しちゃったんだな』という気持ちがこみ上げてきました」

 

「おーい、来たな。上がんない、上がんない」と、敬子は裏口の戸を開けて入ってきた哲雄に、加代子と、それに奈美と知香に対して言ったのと同じ言葉を、やはり全く同じ口調で言いながら、店から居間に上がる、夜の寝る際にはガラス障子で締め切る間仕切りの縁に背を丸めて腰掛けていた。 

(『背高泡立草』より)

 古川さんの出身地は福岡県だ。小学校から高校まで福岡市内の学校に通った。受賞作『背高泡立草』には、登場人物たちの会話に九州地方の方言をたっぷり入れ込んである。

 ただし主な舞台になっているのは、母方のルーツがあり、現在も祖母が住む長崎県平戸市の長崎県のとある島。玄界灘に浮かぶ小島ながら豊穣な歴史を持ち、いまも昔ながらの暮らしが根づく土地である。古川さんは小さいころからたびたび島を訪れ、親族と時間を過ごしてきた。

 つまりは自身のよく知る土地を土台にし、見聞きした体験をベースにしながら、作品は書かれている。そうした書き方は、じつはデビュー当時から変わらない。新潮新人賞を受賞したデビュー作『縫わんばならん』にはじまり『背高泡立草』へ至るまで、古川さんは島とそこに住む一族のことを書き継いできた。