「同級生や先輩からは、ずいぶんなじられました」
すっかり文学好きになった古川さんは、高校時代は学校の文芸クラブに所属し、短編も書き始めた。
「そのころ影響を受けていた作家は、まず武田麟太郎。短編作家なんですが、貧乏な人間しか出てこないし、オチも陰惨で。そうか、英雄的な人が出てこないこういう小説もありなのか、これなら自分も似たようなものを書けるかもしれないと思いました。
それから、島木健作。彼は農村を舞台に香川の方言を作品の中に
国学院大学に進み上京してからも、小説を書くことに没頭した。
「作品を読んでもらった同級生や先輩からは、ずいぶんなじられましたけれども。福岡の方言がバンバン出てくる農村の話なんてされても、わかんねえよと。たしかにその言い分もいまはよくわかります」
「何もしなかった」20代の6年間が糧になった
学業にはあまり心が向かず、大学は中退することとなった。
「小説に夢中だったせいで、というよりは、単純に勉強ができなかったので。英語がとにかく苦手でした。自分は小説を書くんだからいいよと居直れたらよかったんですけど、なかなかそういう心境にもなれず、ひたすら来たるべき除籍通知の到来を恐れながら、かといってバイトや仕事探しをするわけでもなく、この状況がなんとかならないものかと、ただただ手をこまぬくばかりでした」
中退後は6年間ほど、社会的には何をすることもなく、小説を書いたり、書きあぐねたりしていた。
「文芸誌の新人賞を目指していたのは確かなんですが、作品をなかなか最後まで仕上げられなくて。自分の手に余るようなテーマやモチーフを扱ってみては息切れし、また別のアイデアが浮かんだからそっちを書き出すも挫折し、語り口に凝ってみようとやりだしても数カ月であきらめて……といったことを繰り返していました」
そんな中で、先述のように「島の物語」を見出して、2016年にデビューを飾ることに。新人賞受賞作は芥川賞候補にも選ばれ、一躍、若手有望作家となった。デビュー前、たとえば大学中退後の6年間の頃の自分は、芥川賞作家となったいまの自分の姿を少しは予想できていたかどうか。
「まったく想像できませんでしたね。そもそも小説家という存在が、それこそ『サザエさん』の伊佐坂先生くらいしかうまく思い描けない状態でしたから。芥川賞にしても、ハナから自分には縁のないものだろうと思っていました。それなのにこうして賞をいただけて。あの頃のオロオロするばかりだった自分に、言えるものならだいじょうぶだよと声をかけてやりたい」
今後はどんな作品を私たちに読ませてくれるだろうか。受賞を機に作風は変わるものか否か。
「島のことは書き済んだとはまったく思っていませんが、あまり同じテーマを続けていると、手癖のようなもので書いてしまうのがいちばん怖いです。島から離れるかどうかはともかく、自分にとって不慣れな、未知なる他者が現れるようなものを、書いていくようにしたいですね」
写真=深野未季/文藝春秋