シャンプーしていたときにふと浮かんだ「島の婆さんの話」
各作品によって積み重ねられてきた壮大な作品世界が生まれるきっかけは、小説を志しながら悶々と過ごしていた20代半ばにあった。
「たしか24、5歳の頃でした。ある日、風呂入りながら考えていたんです。好きでよく読んでいた古い小説や海外文学には、大きな思想や信念、宗教的倫理観などに真っ向から取り組んでいる作品が多い。翻って自分はどうかといえば、そういう大きいテーマなんて持ち合わせていない……。
じゃあ何を書いたらいいのか。思いあぐねながらシャンプーしていたときふと浮かんだのは、ああそういえば島で婆さんたちの話、よく聞いてたなということ。あそこで見聞きしたことを書いていったら、小説になるのじゃないかなと」
そうして生まれてくることとなった「島の物語」は、発表されるたび大いに注目され、過去に芥川賞候補となること3度。今回の受賞は「4度目の正直」だった。
一歩及ばなかった過去作と今作では、手応えが違っただろうか。
「いえ、今回は短編連作の形式にしてあるんですが、そういうかたちだとあまり芥川賞には好かれないだろうと信じ込んでいて、ノミネートされることすら想定していませんでした。
ただ作品としては、気楽に好きなように書けたなという気持ちがあります。書き始める前には、島のことを片足に置きつつ、もう一方の足をどれだけ遠い場所まで伸ばしていけるかということをやってみたいと思っていたんです。それを長編として書くのは、いまの自分の力量では難しい。舞台となるそれぞれの土地のことを念入りに調べ上げないといけないでしょうから、これまで見知った島のことばかり書いてきた自分の手に余ります。
でも短編をつないでいくかたちなら、満州や択捉での出来事を書くにしても、ある瞬間やせいぜいある1日を切り取って描いてしまえばいい。それならなんとかなるんじゃないかと踏みました」
「よくわからない理由によって集まる、それが家族というものかな」
一体どうして二十年以上も前に打ち棄てられてからというもの、誰も使う者もないまま荒れるに任せていた納屋の周りに生える草を刈らねばならないのか、大村奈美には皆目分からなかった。
(『背高泡立草』より)
受賞作『背高泡立草』は短編連作ではあるものの、現在と思しき島で暮らす老婆・吉川敬子のもとを子や孫が訪ねる一日の出来事が、話のベースになっている。その合間に、時代も場所もバラバラな物語が差し挟まれ、緩やかな連環をつくっていく。
島外に住む子や孫らがやって来たのは、ポツリと納屋が建つ吉川家所有地の草刈りをするためだった。彼ら彼女たちは賑やかに方言で話に花を咲かせながら、茂った草と格闘する。草刈りという行為は、小説の題材としてはかなり地味では? とも思ってしまうけれど、ひょっとするとそこに込められた意味がある?
「草を刈ること自体の意味は、読者の方一人ひとりに自由に解釈していただければ。まあ卑俗なところでいえば、家族や親族って、案外よくわからない理由によって集まるものじゃないですか。すごく無意味に見えるようなことを、大切な慣習として延々と続けている。案外それが家族・親族をつなぎ留め、結びつけているんじゃないかとも思えます。
盆暮れなども、混雑するのがわかりきっているのに、わざわざ皆が集いますよね。『新幹線代も高くつくし、予約も取りづらい……』などと愚痴を言い合ったりもしますけど、そういうのがあってこその家族・親族かなという気がします」