阪神とロッテの縁、極めつきは「たけし軍団」
そんなことを振り返ると、そもそもプロ野球史に残る世紀の大トレードと言われる、1963年の「小山正明⇔山内一弘」の交換トレードも、阪神とロッテが主役だったことに気づいた。ご存知、小山は当時の阪神を村山実とともに支えていたエースで、山内はロッテの前身である大毎オリオンズの主砲。この翌年(1964年)、山内は31本塁打を放ち、阪神をリーグ優勝に導いているのだから、ロッテには感謝するべきだろう。
一方、阪神から東京オリオンズ(1964年、大毎から改名)に移籍した小山も、1年目にいきなり30勝を挙げてパ・リーグ最多勝に輝くなど、新天地の投手陣を長く支えた。この阪神からロッテへの移籍パターンでは、近年の今岡誠や1990年代の仲田幸司などが虎党には印象深いことだろう。二人とも、ロッテで大活躍したわけではないけれど。
いずれにせよ、1964年の阪神優勝には山内がいて、1985年には福間と弘田がいて、2003年には伊良部がいて、2005年には日本シリーズで4連敗を喫した。そう考えると、虎党の私はロッテに妙な縁を感じてしまう。しかも、ロッテの本拠地である千葉はミスタータイガース・掛布雅之の出身地(生まれは新潟)。両者の縁は古く深い、そして時に苦い。
ちなみに1990年代の阪神暗黒時代を象徴する珍事として、1991年秋のファン感謝デー内で行われた「阪神VSたけし軍団」の野球対決がある。あくまで遊びの試合ではあったものの、当時万年最下位のダメ虎などと揶揄されていた阪神が、たけし軍団にまで「2-4」で負けたものだから、弱い阪神を茶化すためのネタとして話題になった。
実はその翌年、ロッテも同じくファン感謝デーでたけし軍団と野球対決を行い、「1-2」で負けているのだ。当時、東大卒として話題になっていたロッテの左腕・小林至が、ポップコーン正二に綺麗なセンター前ヒットを打たれている。
もちろん、本気ではなかったはずだけど、こういう茶化しやすい出来事が実際に起こってしまうあたり、やっぱり阪神とロッテには妙な縁を感じてしまう。阪神はそのまた翌年にも、シャ乱Qチームに負けているんだけど。
※「文春野球コラム ペナントレース2017」実施中。この企画は、12人の執筆者がひいきの球団を担当し、野球コラムで戦うペナントレースです。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイトhttp://bunshun.jp/articles/2732でHITボタンを押してください。
対戦中:VS 千葉ロッテマリーンズ(梶原紀章)
※対戦とは同時刻に記事をアップして24時間でのHIT数を競うものです。