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追悼・高木守道さん。“悲運”にもくじけなかった史上最高のミスタードラゴンズ

文春野球コラム ウィンターリーグ2019

2020/01/19
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星野仙一氏に向かって「野手だって必死にやっている」

 守道さんといえば、寡黙の人とも言われる。だが、心は常に熱かった。現役時代は当時の絶対的エースだった星野仙一が「野手のエラーで負けた」と公言すると、「野手だって必死にやっている。そんなことを言うものじゃない」と正面から挑み、周囲を凍えさせたこともあったという。

 そんな星野さんの後を継いで監督に就いた92年、記憶に強く残っていることがある。

 この年のドラゴンズは開幕戦こそクローザーの与田剛(現監督)が大洋打線を抑え込んで高木監督に初勝利をプレゼントした。しかしシーズン序盤から今中慎二、郭源治らの主力投手に加え、野手陣も立浪和義、大豊泰昭、彦野利勝らに加えて主砲の落合博満までもが、けがで次々と戦線を離脱。チームが下降線をたどった時に、選手の間からこんな声が聞こえるようになった。

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「監督賞の金額が少なすぎる。これではモチベーションが上がらない」

 前年までの星野監督は名古屋財界とのパイプも太く、試合で活躍した選手に贈るポケットマネーの監督賞も金額が大きかった。だが、職人タイプの高木監督はそのような政治力とは無縁で、監督賞の金額も限られていた。

 当時の選手たちに記者の立場でありながら「球団からは年俸をしっかりもらっているのだから、そのような不満は間違っている」と意見した私は、守道さんが解任された95年以降も「星野監督の直後の監督となったのは不運だった。もう一度、監督をやってほしい」と思い続けた。野球の知識、眼力に関しては野村克也氏に匹敵すると確信していたからだった。それが実現したのは2012年のことである。

2012プロ野球 キャンプ 中日ドラゴンズ 左から近藤真市コーチ、髙木守道監督、権藤博投手コーチ ©文藝春秋

 1月17日に急逝を聞いた時は、まさかと思った。お元気だと聞いていたのに。現役時代は優勝のために身を削り、監督となってからはチームと選手のことばかり四六時中考えていた。「ヘンリーさん、やっとかめ(名古屋弁でお久しぶり)。元気ですか」。穏やかな声と優しい笑顔が忘れられない。守道さん、あなたこそが最高のミスタードラゴンズです。ありがとうございました。

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