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「心をひとつに、全員団結!」炎上した五輪キャンペーンとそっくり? 戦時下“動員ポエム”の世界

「心をひとつに、全員団結!」炎上した五輪キャンペーンとそっくり? 戦時下“動員ポエム”の世界

2020/01/20
note

「全員団結」は「巻き込まないで」の裏返し

 たとえば、つぎの「動員ポエム」をみてみよう。これは、日本が東南アジア地域を占領してしばらく経ったころのものである。


血をもつて獲得した南方は
靴屋でも、洋服屋でもない

南方は今日も、なほ戦場の心を
心としてゐる

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南の最大の魅力は建設への
ひたむきな努力、これだ
(1942年11月18日号)

 ようするに「南方の資源を当てにするな」といっているわけだが、ここからは、「これでやっと靴や洋服が手に入る」との楽観論が当時の日本に広がりつつあったことが読み取れる。

 本当に挙国一致している国に、挙国一致のスローガンは必要ない。たびたび強調されるスローガンは、かえってその国の不足部分を映し出している。

 そのため五輪キャンペーンの「全員団結」も、「参加したくない、巻き込まないで」という声が無視できないレベルで存在していることを物語っているといえるだろう。

お台場にオリンピックシンボル ©AFLO

 したがって、つぎの「動員ポエム」も、むしろ「物が乏しい」「生活がきびしい」との叫びを読み取らなければならない。


物が乏しいのが
生活がきびしいのが
日本人わたしたちに
それほど苦痛だらうか

大君に仕へまつる と
御国を愛す と
生活の中に敵撃滅を営む
それだけで
日本人わたしたちはこよなく豊かに幸多いのだ
(1944年2月2日号)

「一をもって百千に当るのが日本人のやりかただ」

 資本や物資がない。それでも動員をしようとすると、いつの時代も、ブラック企業やブラックアルバイトでお馴染みの、精神主義的なスローガンが跋扈してしまう。

 開戦当初より物資の不足に悩まされ、大国アメリカの生産力に怯えていた戦時下の日本もそうだった。その不安が、つぎのような「動員ポエム」となって結実した。「頭数だけ並べ」るのは「米英式」であり、「一をもって百千に当る」のが「日本人のやりかただ」というのである。


一をもって百千に当るのが日本人のやりかただ
頭数だけ並べて仕事をしようなんて、それは米英式だ
量よりも質、より磨かれた技術、生産の方法にも新工夫を
自分で出来る仕事は他人にまかせるな
遊んではゐられないぞ
舞台は広くなったのだ、もっとゝ、人が要るのだ
(1942年6月10日号)

 勝っているときでこれなのだから、あとが思いやられる。実際、約9ヶ月後には、「水と砂と筵と闘魂」でルーズベルトに一泡ふかせるところまで一気に突き進んだ。


『太平洋戦線のもつとも重要な作戦は
日本自身の空の上に展開されるであらう』と
ルーズヴェルトがわめいてゐる
待つあるを恃むわれらに
何の威嚇となるだらう
われらの水と砂と筵と
闘魂とで
見事に一泡ふかしてやらう
(1943年3月3日号)

「ふかしてやらう」と、全員の参加や行動を呼びかけているところが、この手のポエムのポイントだ。「さあ、いくぞ」と叫ぶ「五輪ポエム」に違和感を覚えたひとの感性は、それゆえ健全である。

新しい国立競技場 ©AP/AFLO

 それにしても、「水と砂と筵」とは。たしかに、当時空襲にはこれらで対処することになっていたが、ルーズベルトに一泡ふかせるのであれば、せめて迎撃機や対空砲を持ち出して欲しかった。

 とはいえ、打ち水やアサガオで暑さ対策をしようとし、やりがいで無償ボランティアを動員しようとしている、東京五輪もこれと大差ないのだから笑えない。