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前川喜平だけじゃない。『月刊官界』で見る異色の文部官僚たち

 こうした特殊な雑誌なので、『月刊官界』には今日ではお目にかかれないエピソードも多い。

 試みに、前川喜平前事務次官の告発などでなにかと話題の文部省(2001年以降は文部科学省)の記事を中心にその内容を紹介してみよう。

 本稿の冒頭で引いた不潔なエピソードの持ち主も、じつはとある文部官僚。その言動から、「省内随一のサムライ」とも「ヨゴレ」とも呼ばれた。

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 課長時代には、酔っ払って局長の背広を着込み、その財布から麻雀の負けを支出。それを指摘されるや、「局長にしては中身が少ない」と言い放ったという。

 お金のやり取りが発生する麻雀とは……と疑問も浮かばないではないが、当時はとくに問題にもならなかったようだ。おおらかな時代である。なお、あまり名誉な話ではないので名前は伏せるが、この人物はのちに社会教育局長に就任した。

「教育勅語」の再評価という「功績」も残した“鬼の内藤”

 こうした奇行や迷言はあれ、文部官僚は良くも悪くも保守的で、政治的に目立つ行動はあまり取らないといわれる。そのため、例外的な人物は際立つ。内藤誉三郎(たかさぶろう・1912-1986年)はそのひとりだ。

内藤誉三郎 元文部次官  ©文藝春秋

 内藤は、戦前に高等文官試験をへて正式採用された文部官僚。東京文理科大学英文科の出身で傍流だったが、太平洋戦争の敗戦後にその英語力を活かしてGHQとの折衝にあたり「文部省の外交官」として頭角を現した。

 内藤は省内で白眼視されるほど口が悪く、態度が横柄で、「課長級で、大臣、次官に対等の言葉をしゃべれるのは内藤くらい」といわれた。

 こうした性格は、かえって日教組対策で威力を発揮した。1950年代後半から1960年代前半にかけて初等中等教育局長、事務次官を歴任し、力技で日教組を押さえ込んで、勤務評定の導入、道徳の時間の特設、学力テストの実施などを行ったのである。

 その活躍から、内藤は省内で「連戦連勝の常勝将軍」と讃えられ、日教組から「タカ三郎」「鬼の内藤」などと恐れられた。退官後、内藤は自民党の参議院議員に転身し、文部大臣にも就任した。「教育勅語」の再評価も、かれの「功績」のひとつである。

在職中から「政治家向き」と噂された異能の官僚

 もうひとり、悪目立ちの例として、高石邦男(1930年-)を取り上げてみよう。

高石邦男 元文部次官 ©文藝春秋

 高石は、九州大法学部を卒業して文部省に入省。その物怖じしない豪胆ぶりから「高石無心臓」とあだなされて将来を嘱望され、実際に事務次官まで上りつめた。

 総務課長の時代には、省議にマンガを大量に持ち込み、「局長の皆さんもマンガを読まなければ」とぶって幹部を驚かせた。

 初等中等教育局長の時代には、自民党の意向を受けて、小中高校の入学式や卒業式で国旗の掲揚や国歌の斉唱を徹底するように各地の教育長に対して通知を出したこともある。

 高石は、在職中から政治家向きと噂され、退官後にいよいよ衆院選に出馬の運びとなった。ところが、その矢先にリクルート事件に連座したとして逮捕されてしまった(執行猶予付きの有罪判決が確定)。

 文部官僚出身の政治家は意外と少ない。その貴重な候補がここで潰えてしまったわけである。

 こうした派手な先達に比べると、前川前次官はいかにもおとなしく、文部官僚らしい。今回の告発の一件は、ある種の驚きをもって迎えられたのではないだろうか。