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無気力・無関心・無責任……日本社会の中枢を担う「しらけ世代」の残念すぎる生態

「だって俺たちの責任じゃないもん」と嘯く“1950年〜64年生まれ”たち

2020/01/28
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ミスをしてもただひたすら無難にやり過ごす

 そして団塊世代が退場を始めた平成の後半くらいから、彼らは社会の主要なポストに就き始める。団塊世代ほど人数が多くなく、会社が用意するポストにあまりあぶれることなく収まることができた彼らは、仕事に対してもあまり精力的ではない。

 そもそも今ポストを得ている多くの経営者は創業者ではなく、ひたすら大組織の中で無難に過ごしてきたサラリーマン経営者ばかりである。先代のような発想力も想像力ももちあわせてはいないのである。

 ミスをしても別にあまり申し訳ないとは思わない。特に悪びれる様子もなくやりすごす。問題が生じてもまあ何とかなるだろうと気楽に先送りする。あるいは適当にごまかす。なかったことにして忘れる。ただひたすら無難にやり過ごすのがこの世代の特徴だ。

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©iStock.com

 そんな彼らは、日産という一時は瀕死の重傷を負った大会社を、良くも悪くも一気に立て直したカルロス・ゴーンのような知恵も勇気も併せ持ってはおらず、ひたすら大きな組織の中の自分の立ち位置だけに身をやつすのがせいぜいだ。

政治家も官僚も経営者も「しらけ世代」

 このように考えてみると、なるほど世の中がよく見えてくる。国のことを考えるよりもひたすら自分の利益だけを考えているとしか思えない政治家のみなさま、権力にひたすら阿って忖度するあまりに公的文書はシュレッダーしまくり、問題がなかったことにしてしまい、そしてそのことを指摘されてもさして悪びれる様子もなく、時間を使ってうやむやにしてしまうエリート官僚のみなさま。不祥事が発覚しても経営者として責任をとることもなく、相手が怖かっただのしかたがなかっただのとひたすら言い訳を繰り返す大企業経営者のみなさま。

 これらすべてはしらけ世代の生態なのだ。

 だがこの世代が危険なのは、これで日本が沈没してしまったとしても、きっとさして悪びれる様子もなく「だって俺たちの責任じゃないもん」と嘯くのではないかということだ。早くここから世代交代すること。日本をよくする特効薬はこんなところにあるのかもしれない。

無気力・無関心・無責任……日本社会の中枢を担う「しらけ世代」の残念すぎる生態

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