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 警察庁幹部は、次のように指摘する。

「高山が(刑務所から)出てくるというだけで、事件が起きて何人も死んでいる。動機はどうあれ高山出所で、(山口組傘下の)各団体が自らの力を誇示するように神戸山口組側の幹部に攻勢をかけている。とにかく動きが加速している」

警察は「特定抗争」指定して、強い規制をかける ©iStock.com

 山口組幹部は「ヤクザというのは、親分の表情を見て何を考えているか忖度し、先回りして動くもの。親分が『あいつを殺せ』などと言う訳がない。そのような指示を出していたら、後々に事件の全容が判明した段階で殺人容疑の共犯となってしまう。絶対にある訳がない」と強調する。各地で山口組傘下組織が高山の意向を踏まえ、指示がなくとも走り出しているのが実情だ。

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 武力については、ただ粗暴な手段で対立組織を攻撃するだけでない。対立組織を分断して弱体化させたり、ナンバー2、3クラスの最高幹部に接近して“後ろ盾”となり、トップに揺さぶりをかけたり、その手法は様々だ。「戦わずして勝つ」という巧緻に長けた動きも窺える。

 智謀をめぐらせるだけでなく、弘道会の前身組織に所属していた若手のころは群雄割拠の中京地区の暴力団社会の平定に自ら乗り出し、結果として対立抗争事件で長期の服役も経験している。

 弘道会が山口組内で影響力を増して行くにあたり、資金不足の山口組内の他の傘下2次団体の幹部らに融通するなど、カネの力による山口組内の“与党形成”にも余念がなかった。高山は「武闘派ヤクザ」であるとともに、「経済ヤクザ」としても知られ暴力団社会で大きな存在を占めてきた。

弘道会支配への道

 山口組は、3代目の田岡一雄が組長を務めていたころに全国に勢力を拡張し、3代目時代に長く若頭を務めた山本健一が創設した山健組が保守本流の組織として、山口組内でのブランドとされてきた。4代目組長の竹中正久は就任後、今回同様の内部分裂から引き起こされた山一抗争の際に暗殺され、5代目山口組組長には山健組出身の渡辺芳則が1989年に就任した。