さらに、年が明けた2020年の年始には別の神戸山口組系の有力組織でも解散の動きがあることが発覚。先行き不穏な年始となった。
年末年始にこうした動きが露呈したのは前年の内部統制に疑問符が付きそうな動きが原因となっている。発端は、2019年4月に起きた、神戸山口組の中核組織、山健組の若頭、與則和が山口組組員に刺され重傷を負う事件だった。
暴力団業界では「やられたらすぐに報復に出る」のが常識。さらに、報復に出るには若い衆が親分の意をくんで自ら動くものとされているが、山健組は即座に動かなかった。約4カ月後の8月、山健組組長の中田浩司が自らヒットマンとして山口組組員を銃撃、組員は病院に搬送されたが、右腕に集中的に弾が命中しており切断せざるを得なかったという。この事件で中田は12月に殺人未遂容疑で逮捕された。
事件後、中田は神戸山口組組長の井上に顛末を報告したが、この際に厳しい叱責を受けたという。警察庁幹部が解説する。
「井上が怒ったのは、ひとつは山健組の親分が自分で行くほど組内の下の者たちを信用出来ないのかということと、もうひとつは下にケンカを任せられるような人材がいないのかということ。この2点について、世間に恥をさらしたと叱責したようだ」
山口組が揺れ動いた2007年の事件
8月の事件が神戸山口組に与えた影響は大きいと、山健組について詳しい山口組幹部も口にする。
「親分が自ら行くということは、組織としてなっていない、統制が全く取れていないという恥をさらすようなもの。山健組と言えば、かつては巨大組織だった。今は離脱者がかなり多いのではないか」
この幹部が述べるように、山健組は5代目山口組時代には組内で最大派閥を誇り、6000人以上の勢力を誇っていた。しかし、この幹部は、「ある事件から、揺れ動きだした」と振り返る。
幹部が指摘する、ある事件とは、2007年5月に神戸市内で発生した山健組傘下の多三郎一家総長、後藤一男の殺害事件だという。
山口組が6代目体制となり、それまでの山健組支配から、次第に弘道会支配へと、組内力学が変化し出したころだ。不満を抱いた後藤は公然と6代目執行部や弘道会を批判。中でも当時、山口組本家の若頭に就任していた高山批判を繰り返していたという。