ビールのシェアを伸ばしたサントリーの営業時代
最初のヒントは、肥土が「フィールド」と言い表す言葉に隠されている。
1625年創業の造り酒屋をルーツに持つ肥土は、その血を受け継ぐように東京農業大学で醸造を学び、サントリーに入社した。同社では酒造りの部署への配属を希望したが、洋酒の企画営業に配属された。この部署での経験が肥土のベースになっている。
「自分はお客さんとのコミュニケーションが上手くて評価される営業じゃない」と自覚する肥土は、担当していたサントリーのビールが売れるような仕掛けを作り、取引先に提案することが必要だと考えていた。
なにか良い案はないかと取引先をひたすら巡っていた肥土はある日、スーパーのなかで商品を冷蔵するオープンショーケースを目にして閃いた。当時は冷えていない状態の6本パックのビールを並べて売るのが主流だったが、このショーケースを自社で作り、協賛金を出してサントリー専用の保冷機として店に置かせてもらえば、一気に大きなスペースを確保できるのでは? お客さんも温いビールより、冷えたビールを求めているのでは?
この読みが当たり、担当地域で自社ビールのシェアが跳ね上がった。社内では、全国で水平展開できる仕組みを考案したとして表彰もされた。
このとき肥土は、営業先のスーパーでヒントを得たことから「答えはフィールドにある」という手ごたえを得たという。フィールドは、「現場」と言い換えることもできるだろう。
現場を大切に、答えはフィールドに、という言葉はどの業界でも当然のように言われていることで目新しいことではない。当時の肥土にとっても、特筆すべき気づきではなく、なにげない実感だったのかもしれない。
しかし、この社内表彰から数年後、父に「経営状態が良くない。手伝ってほしい」と請われ、実家の造り酒屋に転職してから、肥土はフィールドへの想いを強めていく。