昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

イップスに悩まされた甲子園優勝投手・元氏玲仁の“最初で最後の登板”

文春野球コラム ウィンターリーグ2019

2020/01/25

 昨日、32校に春の便りが届いた。92回目を迎える選抜高校野球大会の出場校が決まりいよいよ球春到来。野球シーズンが本格化してきた。過去91回で優勝投手になった選手の中にはプロ野球選手になる者、野球を辞めた者などその後の人生はそれぞれだ。その中で一人“第二の大野豊”を目指して、今月新しいユニホームに袖を通した選手がいる。

「やっぱり野球が大好きなんですよね!」

 昨年10月18日。どん底を味わったかつての甲子園優勝投手は、雨で濡れた髪が輝いてみえるほど心底嬉しそうに初めてのリーグ戦マウンドを振り返った。投手にこだわり続けた男は、6年近くの歳月を経て再び輝きを取り戻した。

どん底を味わったかつての甲子園優勝投手・元氏玲仁 ©市川いずみ

ボールを握ることさえ嫌に……甲子園優勝投手の苦悩

 元氏玲仁という名を皆さんは覚えているだろうか。昨秋まで立命館大の副主将を務めたが、印象深いのは2014年の選抜高校野球大会だろう。高橋奎二(ヤクルト)とともに二枚看板として龍谷大平安(京都)を優勝に導いた左腕である。決勝では高橋の後を受けて3回から登板し、5回1/3を投げて被安打3自責0と見事な投球で履正社を圧倒した。この時はまだ2年生。高橋とともに将来有望投手として期待された。しかし、元氏の快投を見るのはこれが最後だった。選抜優勝後、元氏は長い間ある病に悩まされることになる。

 イップス。思うようにボールが投げられなくなったのは、日本一に輝いた直後だった。春の近畿大会、準決勝。報徳学園(兵庫)との一戦でマウンドに上がった元氏は、目の前に転がってきた打球を一塁へ悪送球。「あれでイップスになりましたね」。何気ないミスに見えるこの一つのプレーで自身の投球を見失ってしまった。この夏も甲子園に出場して登板したもののストライクが入らなかった。「この時の記憶はないですね。淡々と終わっていきました」

 そのあとは何かにすがるようにイップス克服に良いと聞いたことにはどんどんチャレンジしてみた。しかし成績が中学・高校ともにオール5という元氏は真面目過ぎる性格が故、すべてを身に付けようとしたがために余計に頭の中が混乱してしまった。克服できないまま迎えた最後の夏のマウンドは今思い出しても屈辱だという。「マウンドに上がった瞬間に相手ベンチやスタンドから“イップスや!!”って声が飛んできたんです」。自分でもイップスだとわかっていても、その言葉は痛く突き刺さった。そのまま立命館大学に投手として進むも、周囲の反応がさらに気になることになる。

 同期には坂本裕哉(DeNA 2位指名)らがいたが、もちろん彼らにとって元氏は同世代の甲子園のヒーローである。「みんな僕の名前は知っている、元氏どんな人やろって思って入ってきて、いざ投球をみたときに『え?』ってなるんですよ。それがすっごい嫌でした。自分の変なプライドがあったんですよね」。ブルペンにはいるのはもちろん、ボールを握ることさえ嫌になることもあった。そんな元氏に後藤昇監督が外野手転向を提案。2時間ほど話し合い、投手としての可能性に限界を感じていた元氏はこの時はすんなり受け入れたという。

 反対したのは母・久子さんだった。「ほんまにピッチャーやめるん?」。野球少年だった父・真二さんは高校生の頃に怪我をし、投手として満足いく投球ができないまま高校野球を終えていた。それもあって両親は投手として活躍する息子の姿が何よりの喜びであったのだ。しかし、意志が固まっていた元氏は家族の意見に耳を傾けることなく外野手として新たな野球人生を歩むことを決めた。