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「樹木希林の子育てはすごかった」内田也哉子×中野信子対談 #2

『週刊文春WOMAN』創刊1周年を記念して、1月14日に開かれた「週刊文春WOMAN meets 樹木希林展 内田也哉子×中野信子トークイベント  What is a family!?」。

対談開始早々、司会役の週刊文春WOMAN編集長そっちのけで意気投合、話が弾む内田也哉子さんと中野信子さん。二人の話題は樹木希林流子育て法に。中野さんは聴衆に向かって「みなさん、私たちは今、すごいことを聴いているんですよ!」と──。

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生前の樹木希林は執筆依頼をすべて断っていた

中野 私、希林さんのご本を……。(本を取り出す)

内田 何か読んでくださったんですか?

中野 黄色い帯に「150万部突破」って書かれている『一切なりゆき─樹木希林のことば』(文春新書)。この本を読ませていただきました。これは書き下ろしではないんですね。

内田 そうなんです。母は生前よく笑い話で、「ほぼすべての出版社から執筆の依頼が来たけど、全部お断りした」と言っていたんです。

中野 もったいない! 読んでみたかったです。

内田 なぜお断りしたかというと、今こうして母が言っていた言葉を並べるともっともらしい人みたいに見えちゃうかもしれないけれど、本人は、自分は大した者でもないし、大したことも言えない。ましてやもったいない精神の塊だったので、自分の本を書くなんて資源の無駄、紙の無駄と言って。

 私が文章を書き始めたときも、「何を考えているんだ」って怒られた記憶があります。「そんな、あんたの書いている言葉なんて誰も面白がって読んでくれないんだし、資源がもったいない」とたしなめられた。

中野 おお~。

 

母に「なんかすごいことになっているよ」と

内田 この本は、葬儀が終わってまだバタバタしているときに文藝春秋の編集者からご連絡があって、母が生前どこかで語ったとか、どこかで書いた言葉とかをまとめて本にしたいと。私は母が本を出すのは嫌がっていたことを覚えていたので、「いや、それは……」ってしどろもどろになっていたら、「まったく強制するつもりはないんですけど、でも、樹木さんは『二次使用はどうぞご自由に』っておっしゃっていましたものね」と。

中野 文藝春秋さんって怖いですね~(笑)。

内田 いやいや、でも、ああ、そうか、これは全部二次使用だ。全部いろんな雑誌や本から引っ張ってきたものだと気づかされ(笑)、そこで私は考え方を180度変えて、じゃあいいやと承諾したんです。

 母はマネージャーも居なくて、古いファックスのついた留守番電話に自分で「はい、希林館です。御用のある方はどうぞメッセージを。そして、二次使用はすべてどうぞご自由に」、ピーッ、というメッセージを入れた留守番電話だったんです。自分ひとりでやってると、二次使用の許可を出すのが本当に面倒なんですって。だからそういうふうに録音していたみたいなんですけど。

 私は、まさか母が亡くなった直後にそういう展開で本が出るとは思っていなかったのに、今では中国、韓国でも翻訳されたりして、「なんかすごいことになってるよ」と、よく空を見上げているんですけど。

中野 これは面白かったですよ。

内田 そうですか。そのうちいろんな出版社の方からの問い合わせが殺到して、一社OKしたら断わりにくいというか、みなさんがいろいろな切り口で、映画をメインにしたものとか、母の書いた手紙だとか、着物のことだとか、一生懸命いろいろ考えてプレゼンしてくださるので、よく考えて、「よろしくお願いします」ということになったんです。でも、なかにはまったく知らないうちに出ているものもいくつかあって。

野 そうなんですか。便乗的な本もあるんですね。