なぜそれでも多くの場所でFCが続くのか
とはいえ、やまゆり園に限らなければ、ネットで「指筆談」と入力して検索すると分かる通り、多くの場所でFCの取り組みや勉強会が現在進行形で行われていることが分かる。なぜ人々は、科学的根拠に乏しいFCにここまでこだわるのだろうか。
ふと、あるテレビ局のディレクターをしている友人がこぼしていた話を思い出す。彼は、FCに傾倒していく障害者家族の深層心理に焦点を当てた番組を作りたいと提案したが、残念ながら企画が実現することは無かったという。
「なんで皆そんなに『何かができる』ことにこだわるんだろう。なんでそう思いたがるんだろう」
彼が心底不思議そうに口にした言葉が、今でも私の耳に残っている。
ただ私は、障害によってできないことをどうしても「できる」と思いたい親・支援者の心理には心当たりがある。というより、私の両親がまさにそのような人物であった。
私の障害を、両親は受け入れられなかった
私の両親は、私が脳性麻痺で歩くことができないと告げられた時、それを受け入れることができなかった。そこですがったのが、前述のドーマン法という民間療法によって障害を「治す」という道であった。
0歳から12歳ごろまで、毎日毎日、朝から晩まで「訓練」という名の虐待が続いた。具体的には、頭上梯子というぶらさがり器のような器具を使って歩かせる、ひたすら高這いをさせる等である。これらには回数やタイムのノルマがあって、それを達成するまでは泣こうが喚こうが決してやめることは許されない。
できない場合は容赦なく殴られ、罵倒される。ひどい時には家の外に叩き出されて数時間放置されたり、食事を与えてもらえなかったりする。1か月間風呂もシャワーも許されなかったことはざらである。また、食事の際は特殊な器具を使って無理やり立ったままの状態に常にさせられたし、体に良いということで天井から逆さ吊りされたりもした。
そうした訓練でボロボロになっても休めるわけではない。「お前は障害者で人より劣っているのだからその分何かで突出して天才にならないと生きていけない」ということで、訓練の合間には異常な早期教育を受けた。主には数学で、小学校に入る前から中3くらいの内容をやらされていた。他にも物理、プログラミング、3Dモデリング、絵、新聞作りなど、父が思いつくことは何でもやらされた。しかしどのようなことであれ訓練と同じで、与えられた課題をこなせなければ容赦なく殴られ罵倒されるので、楽しいとは感じられなかった。
小学校にいる間だけは訓練から解放されるのだが、「学校に行くと馬鹿になる」という親の方針で、週3日しか通わせてもらえなかった。