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「募ってはいるが募集はしていない」 ちゃんと説明されない“3大事件”を安倍首相の「私情」で読み解く

恨み、友情、贔屓……巨悪ではないがせこい

2020/01/31
note

 中国の新型肺炎について新聞各紙のコラムの切り口はさまざま。

 産経新聞の名物コラム「産経抄」は中国政府の情報隠蔽についてツッコんでいた(1月27日)。“中国の情報公開”というお題にしぼって記事を追うのは確かにおススメしたい。中国の姿がリアルにわかる。

©AFP/AFLO

 結びはこれ。

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《この緊急事態に、国会ではサクラがどうした、こうしたとのんびりした議論ばかり。議員の諸君、ボーっと生きてんじゃねーよ!》

 相変わらず感情が激しくて読むのが楽しい産経抄師匠。

 しかし桜を見る会について「のんびりした議論」と書いているが、「ちゃんと説明されない」という意味においては中国も日本も深刻な事態になっていることに気づいておられないのだろうか。

本性は些細な振る舞いにこそ

 たとえば同じ日の日経新聞は世論調査の結果を大きく載せていた。

「桜を見る会 不信根強く」

 政府のこれまでの説明に「納得できない」の回答が78%だった。内閣支持層でも「納得できない」は63%にのぼった。

安倍晋三首相 ©︎文藝春秋

 ここで思い出したいのは「神は細部に宿る」という言葉だ。

 もし「小さなこと」の桜すら説明しないなら、今回の中国と同じような「大きなこと」が今後起きたときも「ちゃんと説明されないのでは?」と不安に感じてしまう。また、その可能性を警戒するのがマスコミの役割だ。国会のサクラは決して「のんびりした議論」ではないのである。

 1月30日の毎日新聞の社説は《政府はそうした不安にも応える対応と丁寧な情報発信をしてほしい。》と書いた。これは新型肺炎の対応について書いた社説である。求められることはやはり桜と同じなのである。

 本性は些細な振る舞いにこそ色濃く出る。

 なら「内閣支持層」こそ、桜の危うさに早めに気づき「とっとと説明せよ、面倒なことになるぞ」と叱るべきだった。それが本当の政権擁護の態度であったはず。