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未来永劫「元AV女優としてしか生きられない」ということ

 AV女優もバカじゃないので、AVとか出たら就職に不利かも、将来的に職場で噂になっちゃうかも、いずれ親にバレるかも、結婚が破談になったりするかも、くらいの想像力は当然ある。私もそう思っていたし、それが含まれてこその高額なギャランティ、というのは別に常識の枠を出るものではない。しかし、現役の頃に、あるいはデビュー前に考える未来への対価と現在の私が考えるそれは、必ずしもピタリとは一致しない。

 ギャランティが未来への対価である、というのは要するに未来永劫「元AV女優としてしか生きられない」ということだ。もちろん私は「元新聞記者としてしか生きられない」も背負っているし、電通の友人は電通を辞めても「元代理店マンとしてしか生きられない」し、歯科助手の友人は主婦になっても「元歯科助手としてしか生きられない」わけだが、「元AV女優」はそれらの中では特に向かい風が強い。

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 しかも、世間の偏見なんていうのはそのうちのいくばくかでしかなく、例えば世間的に「元AV女優を差別するべからず」という認識が共有されたところで、自分の子供がなるべくならAV女優にならないで欲しいと思う親を責められるだろうか。自分の奥さんが元AV女優じゃない方がいいと考える男性が消滅するなんてことがあるだろうか。

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 元AV女優でも魅力的な人となら付き合ってもいい、という男性が増えたところで、では両親に堂々と紹介できるという人ばかりだろうか。両親に堂々と紹介したところで受け入れられないという両親がいなくなるだろうか。渋々許してもらったところで、生まれた子供が何の感情もなく自分の母親が元AV女優だったと認められるだろうか。

火傷だらけ傷だらけの人生は延々と続く

 正直、元AV女優である私的には、世間に後ろ指さされることよりも、身近な人の悩みの底に、常に自分の過去があることの方がよほど辛い。デビュー前にも、親バレ彼氏バレすることのリスクまでは考えていたが、親バレ彼氏バレした後も日常は終わりなく続いていくことへの認識は甘かった。AV出演は一瞬の花火で、親バレも一瞬の転倒だが、火傷だらけ傷だらけの人生は延々と続く。

 そして自分の好みや生きたいと思う人生だって変わる。ヤンキーがヤンキーをやっている最中はそれがそれなりに格好いいと思っているのと同じで、AV女優をやっている最中は自分がAV女優であるという事実はそれほど嫌なものではない。それに、嫌になったらやめればAV女優ではなくなる。でも「元AV女優」は、嫌になっても一生やめられない。すでに私は、AV女優として過ごした時間の何倍もを、「元AV女優」として過ごした。そして当然、「元AV女優」として生きる対価は現役時代に満額支払われてしまっているので、その後は一切お金などもらえない。年金もないし。

 私にとってAV出演など、当時は足元に転がっている石のようなものだった。不安や不満や憧れや期待など、要約するとアドレッセンスというようなものを持て余し、若干むしゃくしゃした気分で蹴っ飛ばした石が延々とはねっかえり続けて、自分の顔面や親の脇腹や恋人の後頭部にぶつかり続けて、10年以上経った今も、ビュンビュンと飛び交っているような感じ。時々それはまた私の顔面に直撃して鼻血をブーブー飛ばしたり、頭をクラックラさせたりする。そんな気分で私は生きている。ぶつかる度に私は、「この痛み、この悲しさがないなら何で100万円もらえると思ったの? 自分の顔に身体にそれだけの価値があるって思ったの?」と19歳のワタシを恨みがましく叱る。