作家、社会学者の鈴木涼美さんが、2014年から2019年までのTV Bros.連載に加え、各雑誌やWebに掲載されたエッセイ・評論・書評などをまとめた、5年分のコラム集『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』(Bros.books)を上梓。新刊に収録された文春オンラインへの寄稿「私のAVデビュー作のギャラ100万円は、何に対して支払われたのか」(原題)を再公開します。(初出:2017/12/29)

『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』(Bros.books)

ほとんど全て予想通りの未来が来ただけなのに

 当時まだパカパカと開くタイプだった携帯電話の着信画面に、2ヶ月ほど前の飲み会で出会ってから仲良くしている男の名前が光った。二人きりで会ったのはまだ3回くらいだったのだが、同じ飲み会にいた彼の同僚たちとバーベキューの計画も立てていた。大学院生の私から見るとあまりに忙しい人で、こちらから誘うのは憚られるので、いつも向こうからお誘いの電話が来るのを待っていた。急いで通話ボタンを押すと、「今仲間と超盛り上がってるよ! お前AV出てたんだって? すごいじゃん」とテンションの高い声が飛んでくる。ほとんど全て予想通りの未来が来ただけなのに、私は地下鉄の駅で固まった。

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 AV嬢のデビュー作のギャラ100万円は何に対して支払われるのか。これは私がこれまで何度も何度も考え、考え直し、さらにまた考え直してきた問題であり、これからもまた何度でも塗り替えていく問いだ。AV業界がこれまでにないほどに「叩かれた」年の年末に、現時点で思うところを少し書き留めておきたいと思った。

AV嬢が支払うことになる「未来への対価」について

 どんな仕事の対価も、シンプルな一つの労働に対して支払われているというより、その人の現在(その労働や時間)、過去(学歴や顔など)、未来(その仕事の将来的なリスクなど)に対して複合的に支払われているというのはそれなりに妥当な考えだ。そして、AV嬢は他の仕事に比べて、もらうお金に対する「未来への対価」の割合がことさら大きい。それに比べれば、現役時代に支払った代償なんて大したことないと思えるほどに。

 私はこの「未来への対価」について現時点で思うことを、ここで書いておきたい。「偏見をなくして職業として認めよう」という議論と「偏見があるからこそ高額なギャランティが保持されている」という議論は両方理解できる。ただ私は正直、そんな話にもう飽きてしまったし、実際の「中身」は「偏見」や「リスク」という単純明快な言葉を与えられる類の話ではないように思うからだ。元新聞記者としてでなく、『「AV女優」の社会学』の著者としてでもなく、元AV女優として、個人的な経験や感覚から紡ぐ文章にしようと思う。