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100万円はスペック・現役時代の労働・未来への対価に支払われる

 私は常々、AVへの偏見がなくなったらギャラは暴落する気がしますけど、それでもその方がいいのか、という主張をしてきたし、根本的には今もそう思っている。拙著『「AV女優」の社会学』は大まかにいうと、AVのギャラは男優と性的演技をするそれ自体よりはるかに多くの要素に支払われている、という議論を記した本だが、個人的な感覚に立ち戻れば、あらゆる要素総体への対価というよりはもっと極端に、「何か」に対して多くが支払われていると今では思っている。そしてその「何か」は多くが「未来への対価」に関わっていると考える。

 ものすごく乱暴にではあるが、ギャラは何の対価であるか、と考えた場合の要素を列挙してみると、大きく分けて3つあるだろう。

 まず、過去やその人のスペック自体に支払われる要素がある。容姿やスタイル、二重整形や歯科矯正、豊胸経験、元アイドル、元客室乗務員、早稲田卒、京大生など。

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 次に、現役時代に引き受けるべき労働などの要素が挙げられる。VTRの中で求められる演技力や具体的な動き・テクニック、いくつもの面接をクリアする容姿やコミュニケーション能力などの魅力、面接や撮影現場にきちんと現れる社会性、さらにはVTR撮影の外ですべきプロモーション・営業活動やセリフの研究・練習、性病など粘膜接触のリスク、AV女優として世間に顔出しすることによるリスクなどが思い浮かぶ。

 最後に、現役を引退してから重くのしかかる負担が当然考えられる。自分のVTRが未来永劫データとして残ること、AV女優や元AV女優に対する世間的な白い目を受け入れること、将来的に転職や結婚などの選択肢を狭めること、セックスについての世間の興味や品のない質問攻めに応えることなどだ。

「未来への対価」の割合が多い、というのが性産業の特徴であり、さらに輪をかけてその負担が重いのがAV女優の特徴だというのは、おそらく多くの当事者たちもわかっている。先に挙げた偏見の問題もその「未来への対価」に大きなウエイトを持って含まれるが、当然、それだけではない。そして、世間的な偏見以外の何かしらの「未来への対価」こそ、引退して10年以上経った私は重要視したいと思っている。