なんとも味わい深い。初回の『麒麟がくる』。

 大河ドラマの初回ってのは、制作陣の気負いがすべてブチ込まれ、良くも悪くも突出してるから「初回で判断してはいけない」んだが、初回や初週には「その作品を貫く作風のようなもの」は確実に埋まっている。『麒麟がくる』は「味わい深い大河」になるということだろうか。

主人公の明智光秀を演じる長谷川博己 ©文藝春秋

 何が味わい深いって、すごく注意深くつくられている感じがひしひしする。ていねい、はよくあるが注意深いってのは割りと珍しい。そのへんが味わいに転化している気がする。

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 農村に野盗が襲来するオープニングからテーマ曲になだれ込むところの「おおー、なんか往年の大河ドラマに憧れてる人がつくった映画みたい!」な流れ。テーマ曲もタイトルバックも明らかに今風ではなく「擬古風」、でもレトロ狙いってんでもない(ただ、テーマ曲の音量のレベルが小さくない? いつももっとデカい音で鳴ってません?)。

『麒麟がくる』の「初回の気負い」って、「大河というと、前作のこともあるし今回のキャストのこともあるから、とにかく注意して、つべこべ言われないように名作大河つくるぞ!」って感じ。「大河だからって決して暴れないぞ!」と静かに気負っている。

 だから吉田鋼太郎が松永久秀役と知った時に「どんだけヤリスギの芝居するのか」と見る前からゲンナリしてたら、思いもよらぬあっさりとした、しかし何かハラにイチモツあるような久秀。斎藤道三が本木雅弘で、抑えた芝居で見事に蝮(まむし)っぽい。このあたりに、制作陣の「とにかく方向性を変えたい」という思いを感じてしまう。

 しかし、初回拡大版だったせいか、途中間延びして「まだ終わらないのか」と思う場面もあった。それはたぶん、会話のテンポがゆっくりで「聞かせたいキメ台詞」みたいなものがボンヤリしてるからだ。堺正章の町医者が、腕がいいのに金儲けしないで町医者を貫く理由を述べる。それを聞いた長谷川博己の若き日の明智光秀が、自分の亡き父親の思い出から人間の「誇り」について悟るところ。見せ場の一つだろうが、なんでこんなに心に染みないのかという平板なやりとり。そして初回のラストに、タイトルの「麒麟」が何を表しているのか、さらに光秀がそこから何を目指すのかが視聴者にわかる重大な台詞を門脇麦(孤児で堺正章の助手)が語るんだけど、これも長いばかりで「はあ…そうですか…」と言いたくなるような語りっぷり。今後もキメ場面でこの調子だと多少不安である。

 あと、市川海老蔵のナレーションが下手だなあってのがあるが、それでも全体にいやな感じはしないので、このまま注意深く味わい深く進んでいってほしい。

INFORMATION

『麒麟がくる』
NHK総合 日曜 20:00~
https://www.nhk.or.jp/kirin/