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そして新たな権力闘争がはじまる

 九月五日。渡辺勉・ゼネラルエディター兼編成局長と市川速水・ゼネラルマネジャー兼報道局長が杉浦信之・取締役編集担当を訪ね、政府が翌週に吉田調書公開を決めたことを告げたうえでこう打ち明けた。

「吉田調書は、もう持ちません」

 もし朝日に、記事への批判も自由に言い合える社風があったなら、ここまでの大誤報にはならなかったかもしれない。あるいは早い段階で自主的に訂正を出す判断を下していれば、傷は浅かったであろう。万事休するまで何ら対策を打てなかった背景には、自分の頭でものを考えずに「上意下達」で済まそうとする風潮の蔓延があったのではないか。その意味において、吉田調書と吉田証言は、三十年余りの時の隔たりにもかかわらず、朝日の体質がまったく変わっていないことを露呈させたといえる。

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 木村社長は十月十日の社員集会で、一連の不祥事について、「いちばん大きなのは吉田調書の問題。これがあったから、新聞協会賞にも申請していたこともあり、社としての責任があると。その時点で自分の進退についても固めたつもりです」と述べている。

 新聞協会賞については、朝日には苦い記憶がある。「調査報道の金字塔」として社史に残る「リクルート疑惑報道」(88年)が、直後に起きた「サンゴ事件」のスキャンダルを理由に反対を受け、受賞できなかったことである。心無いダイバーによって傷つけられたサンゴの写真を撮る。そんな目的で沖縄の海に潜った写真部記者が、適当な被害現場を見つけられず、自らの手でサンゴを傷つけてしまった捏造事件である。

「沖縄まで出張していながら手ぶらでは帰れない」という写真部記者の立場は、せっかく入手した極秘文書に「目ぼしいニュースはない」とは言いづらい特報部記者の境遇にも、重なり合って映る部分がある。特ダネか誤報か――。現場の記者にのしかかるプレッシャーは間違いなく、社を覆う官僚主義によって必要以上に増幅されてしまうのである。

 今回の朝日危機においては、特報部のライバルである社会部もまた、慰安婦問題によって窮地に立たされている。そのせいか、社内基盤の弱い特報部も今のところ潰される様子はなく、現状では不気味な勢力均衡を保っている。

 木村社長は十一月十四日、本社新館十五階のレセプションルームで社員を前に自らの退任と経営陣の刷新を発表した際「今回の人事は社長一任を取らず、取締役会、常務会で十分議論し、透明性の高い決定をした。経営陣の正当性を確保できた」と胸を張った。だが、「役員会では飯田派と渡辺派が早くもポストの配分でせめぎあっていた」とささやかれている。

 三大スキャンダルのほとぼりが冷めれば、やがて元通り、朝日官僚たちの思惑に振り回される職場環境が復活するに違いない。すでに朝日社員たちは新体制をめぐる噂話に余念がない。

「渡辺新社長は東京に基盤がない。改革はできず、木村社長の院政がはじまる」「渡辺ゼネラルエディターの同期でライバルの○○さんが暗躍している」……。

 朝日官僚にとっては、今回の不祥事さえも新たな権力闘争の道具でしかないのだ。