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日本型組織の弱点 内幕ルポ 朝日新聞メルトダウンの病根を暴く

チームTKJ

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慰安婦問題、吉田調書――相次ぐ誤報問題に揺れる大新聞。その内幕をすべて明かす。

 朝日新聞社の木村伊量社長(61)が二〇一四年十二月に辞任し、後任社長に渡辺雅隆取締役、会長に飯田真也上席執行役員が就任することが明らかになった。八月五日、六日付の紙面で過去の慰安婦関連報道についての検証記事を掲載して以来、朝日新聞は立て続けに前代未聞の危機に見舞われた。いわゆる「吉田調書」スクープの取り消し、そして「池上コラム」掲載拒否事件。慰安婦と吉田調書については第三者委員会の検証がおこなわれた。その報告書が出るタイミングに合わせて木村社長が辞任することで、一連の問題の幕引きをはかろうということだ。

 十月十日に本社新館十五階で行われた「信頼回復と再生のための社員集会」では、販売セクションの社員から悲痛な叫びが上がった。

「お店を回ると、部数が、お客さんが減っています。朝、新聞を開くと読売よりページが薄く、広告も大変です。新聞の質が落ちては売るものがなくなります」

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 一方で、猛烈な朝日バッシングも巻き起こった。いわく「朝日は反日」「左翼の巣窟」「媚中・媚韓」……。

 だが朝日の病理の本質は、けっして反日や左翼といったキーワードでは読み解けない。むしろイデオロギーとは無縁な「企業体質」や「社内風土」にこそ、根深い病根があるのだ。逆に言えば、いわゆる左翼記者を一掃したところで、朝日の企業体質が変わらないかぎり、今回と似たような不祥事は必ず再発するだろう。

 私たちは、一連の問題の病根は何よりも朝日に蔓延する硬直化した官僚的体質にほかならないと考える。エリート主義、減点人事、派閥の暗闘、無謬神話、上意下達の日常化……そうした体質こそが適切な初期対応を阻み、問題をかくも拡大させてしまったのである。

 本記事では、木村社長辞任の直接のきっかけとなった「吉田調書」問題を中心に、“朝日の病理”の一端を掘り下げてみよう。

人事を気に病む小役人集団

 朝日新聞記者とはいかなる人々か?

 朝日新聞は今なお、『朝日ジャーナル』や往年の名物記者・本多勝一(82)に象徴される“左翼”のイメージが強いかもしれない。だが、今や局長クラスの幹部さえ、筑紫哲也に「新人類」と揶揄されたノンポリ世代だ。むろん、リベラルな社の論調に共感(幻想)を抱いて入社した者も多いが、個々の記者レベルでは、改憲や増税を必要だと考える者の方がずっと多い。

 むしろ朝日新聞社員に特徴的なのは、滑稽なまでのエリート意識と小心翼々たる“内向き志向”のキャラクターである。四十五歳で平均約千三百万円にもなる業界トップクラスの高給だけでなく、読者層の社会的階層の高さと知的イメージもプライドの源泉だ。

 だが、エリート意識とは裏腹に、記者たちは社内における自らの評価を過剰なほど気にかけている。

 入社後五年ほどの地方支局時代には、「いつ本社に上がれるか」「本社のどこに上がれるか」が最大の関心事になる。政治部、経済部、社会部、俗に「政経社」と呼ばれる三部門に人気は集中する。頻繁に一面を飾る花形部門というだけではない。出世街道も、政経社だけに敷かれているからだ。実際、過去の社長は政経社からしか輩出されておらず、とくに近年は政経の「たすき掛け人事」がおこなわれてきた。そして本社への異動後は、次長、部長、局長というポスト争いへと、記者たちの関心は年齢とともに移り変わってゆく。

 朝日のイメージからは意外に見えるかもしれないが、朝日の社員は毎年十数段階で「格付け」されている。当然、給与も違ってくる。自分のその年の評価は、給与明細などを閲覧するための社内の個人ページに表示される。偏差値競争と同じ感覚で、社員は自己評価をひとつでも上にしようと努力するのだ。

 社内競争を勝ち抜いてゆくうえで致命的なマイナスになるのは、記事の「訂正」だ。訂正は即、人事の減点につながる。かつては取材先や第三者から記事の誤りを指摘された場合、菓子折りを持って先方を訪ね、何とか訂正を出さずに済ませてくれないか、と“穏便な対応”を求めるのが常であった。

 訂正はデスクの減点にもなる。訂正を出す場合、記事のチェック役となるデスクとの連名で始末書を書かされる。それを嫌がるデスクの心情もあり、記者はなるべく誤報を揉み消そうと努める。

 もっとも、デスクも露骨には揉み消しを求めない。あくまでも「(執筆した記者の)将来のために、とりあえず謝りに行け」などとアドバイスするだけだ。現在の編集幹部たちが地方にいた時代には、上司と部下が牽制し合いながら訂正の“回避工作”をする風景はごく普通に存在した。それがお互いの人事のために、もっとも好都合だったからだ。

 慰安婦報道において吉田清治氏の「強制連行証言」(いわゆる吉田証言)の誤報を長年訂正しなかったのも、朝日の社風を知る者からすれば不思議ではない。誤報を認めれば、記事を書いた記者だけでなく、上層部までキャリアに傷がつく。朝日は一九九七年三月三十一日付紙面で、吉田証言の真偽を「確認できなかった」と書いたが、これで「訂正」は回避できた、一件落着、というのが当時の暗黙の了解だったのだろう。池上彰氏が「謝罪すべき」と指摘したコラムを掲載拒否したのも、そうした社内論理からすればある意味、当然の判断ともいえた。組織の内部論理が、外部からの批判を受け付けなくなっていたのだ。

 そんな社風は必然的にリスクも摩擦も避ける方向へと、出世主義者たちを向かわせる。結果として、脛に傷のない凡庸なエリートが上層部に固まってゆく。

 だが、リスクや摩擦を極力避けようとする人間には、致命的な欠点がある。それは「自分で判断できない」という点である。それが最も端的にあらわれたのが、「吉田調書」事件だった。