光秀の城下町づくりの名残「明智藪」
福知山城は、由良川に向かって南西から北東に伸びる半島状の丘陵に築かれています。本丸は独立した丘陵に見えますが、丘陵を分断して独立させたところに置かれています。本丸の対面が伯耆丸(現在の伯耆丸公園)、本丸と伯耆丸の間にある谷底のような一帯が二の丸跡です。そして、城の北側に広がる段丘下平野部に、由良川に沿うようにして城下町が形成されていました。
福知山の城下町は、光秀による大規模な土木工事により誕生したとみられます。城下町の東側にある「明智藪」と呼ばれる堤防は、光秀が行ったと伝わる治水事業の名残。現在のJR福知山駅付近まで迫っていた由良川の流れを、自然堤防の一部を利用して塞き止めて外堀としたのです。
城下町と由良川との間には城下町を囲むように約2.1メートルの土塁が構築され、城下町の西側にも堀が開削されて、高さ約3.6メートルの土塁が巡っていました。こうした城と城下町が一体化した都市設計も、信長が推し進めたもののひとつです。
由良川と堀、土塁により「総構」が構築され、城下町全体を防御していました。いくつかの出入口のなかでも、とりわけ防御性の高さを感じるのが、城下町北端の丹後口。丹波の旧勢力のほか、信長が敵対する毛利氏を警戒してのことでしょう。城と城下町の構造から、緊迫した時代背景が伝わってきます。
撮影=萩原さちこ
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福知山城をめぐる旅の模様は、「文藝春秋」2月号の連載「一城一食」に掲載しています。
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