昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

豊臣政権の“東北支社”! なぜ会津若松城の天守には「赤瓦」が使われているのか?

会津を酒処にした田中玄宰の功績を訪ねて

2019/11/08

 2011(平成23)年、黒瓦から赤瓦へと葺き替えられた会津若松城天守の屋根瓦。今回の取材で興味深かったのは、赤瓦の色合いに歴史があったことです。現在はあずき色のような落ち着いた赤色ですが、時期により天守の屋根はさまざまな赤色で彩られていたというのです。

会津若松城の天守。

赤い屋根に隠された、豪雪地域ならではの工夫

 瓦が赤いのは、瓦を焼くときに表面にかけられる釉薬にひと工夫されているから。城の建物には黒い土瓦が用いられるのが一般的ですが、会津のような豪雪地域では凍み割れてしまうため、瓦に水分が染み込まないよう鉄分入りの釉薬を施釉しています。そのため、焼き上がりが赤くなります。

 赤瓦は江戸時代初期の1648(慶安元)年に試作され、1653(承応2)年から太鼓門の瓦に採用された記録が残ります。1644(正保元)年に幕府が作製を命じた「正保城絵図」を見ると屋根瓦は青く塗られていますが、これ以降の絵図では屋根は赤く描かれています。幕末には、天守だけでなく城内のほとんどの建物の屋根を彩っていたとみられています。

蛍光X線分析の結果などから赤色が再現されている。
鉄門、続櫓、干飯櫓なども赤瓦が葺かれている。

 釉薬の配合はさまざまに試行錯誤され、釉薬の改良とともに赤色も少しずつ変化したようです。なんと、時代が下るとオレンジ色に近い赤瓦も生み出されたのだそう。今よりもかわいらしい印象の天守が実在したようです。現在の赤色は、出土した瓦の蛍光X線分析の結果などから、幕末の赤色が再現されています。