いまから40年前のきょう、1977年7月2日、ロシア出身の小説家ウラジミール・ナボコフが、スイス・モントルーの病院で死去した。78歳。

 ヘミングウェイ、ボルヘス、川端康成らと同じく1899年生まれのナボコフは、激動の20世紀を反映し、各国に移り住むなかで、複数の言語を用いながら生涯を送った。ロシアの名門貴族の家に生まれた彼は、政治家でイギリスびいきだった父の影響もあり、ロシア語より先に英語を読み書きできるようになったという。

 1917年にロシア革命が起こると家族で亡命し、ヨーロッパ各地を転々とする。イギリスのケンブリッジ大学を卒業した1922年にはドイツ・ベルリンに移り、さらにナチスが政権をとると迫害を恐れてフランス・パリに亡命(1937年)。この間、ウラジミール・シーリンの筆名でロシア語で小説を発表するようになる。1939年には最初の英語の小説『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』を本名のナボコフで執筆。戦火を避けてアメリカに移住したのはその翌年で、以後、大学で教えるかたわら執筆活動を続けた。

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 1955年にパリで出版された『ロリータ』は、58年にはアメリカでも刊行され、ベストセラーになる。経済的な余裕を得たナボコフは、これを機にスイスに移住、レマン湖畔の町モントルーのホテルに居を構えて執筆に専念する。

『ロリータ』は、中年男の12歳の少女への倒錯した恋を、男の手記という形で描いたものだった。ロリータコンプレックスの語は同作に由来する。また、1962年発表の『青白い炎』は、架空のアメリカ詩人の書いた詩編に長文の注釈を付し、その注釈の部分が小説の本体を形成している。このほか多くの作品で、パロディや言葉遊びなど言語的実験を繰り広げたという点でも、ナボコフは20世紀を代表する文学者と呼ぶにふさわしい。

ウラジミール・ナボコフ ©getty

 なお、少年時代よりチョウの採集を趣味としたナボコフは、アメリカ在住中には、ハーバード大学比較動物学博物館の昆虫学部門研究員となり、鱗翅(りんし)類関係の論文を学会誌に多数発表している。『ロリータ』もチョウの採集のため全米を旅行しながら、その旅先で断続的につづられたものだった。最期の言葉も、「いまごろ飛んでいるチョウをもう追いかけることができない」であったという(『筑摩世界文学大系 81 ボルヘス/ナボコフ』筑摩書房)。