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写真家・奥山由之が明かす、大学時代の“星の時間”という原点

アートな土曜日

2020/02/08
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 撮影を終えて、仕上がった写真を見てみると、何かが違った。どう見ても「嘘っぽい写真」ばかりなのだ。

 嘘っぽく見える原因はすぐにわかった。問題は距離感である。こちらは好意を寄せているとはいえ、相手がこちらに特別な感情など持っていないのは明白。心理的な距離が遠いことは、写真を撮っているあいだずっと感じていた。

 それなのに、仕上がってきた写真の画面には、ずいぶん近しい関係性が写っていた。写真は“瞬間”の話だ。“瞬間である”というだけで、ある意味刹那的に感じ取れてしまう。つまりは、平気で嘘をつけてしまうものなのだ。

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 この嘘っぽい写真では、本当の自分の感情や記憶を記録したことにはならない。撮影のときの、物理的な距離は近いのに心理的な距離がたっぷりあるあの感覚を、どうしたら表せるだろう……。模索しながら写真を見返し、絞り込みの作業をひたすら繰り返してみた。

 すると選びようによっては、納得の距離感を表している写真もあることに気づいた。たとえば彼女を至近距離から撮っているのに、ピントが合わずボケてしまった写真。顔を手で覆っている写真。スカーフやクッションで姿かたちが半ば覆われている写真。逆光でシルエットのみ浮かび上がる写真……。

奥山由之「Girl」より

 払いのけるのは容易だけれど、柔らかな膜のようなものが奥山と被写体のあいだにある。そういう写真を選んでいった。これなら、あのとき感じていた距離感を表せる気がしたのだ。

 障壁を感じられない写真については、複写を試みた。紙焼き写真をブツ撮りして、“記憶を記録化”した写真をつくってみる、すると撮影者と被写体のあいだにプリントされた写真という一枚の膜ができて、うまく距離がとれた。

 そんな作業を繰り返すことで、適正な距離感を持った写真群が現れ出てきた。次なる課題は、それらの写真をどう構成するかだ。

夢をかたちに残す方法

 当時の奥山は、頻繁に似た夢を見ていた。床に就くたび、被写体になってもらった彼女が夢に出てくるのだ。特段のストーリーはない。おぼろげに像が浮かび、そこに彼女がいるのは感じとれるけれど、言葉を交わすのでもなし、ある一定の距離以上に近づけるわけでもない。目覚めれば、夢で見ていたその光景は、すぐに薄れて崩れてしまう。

 そうした夢の儚さには、つくっている作品と近しいものがあるのではないか。彼女との「距離のある」写真群は、夢の記憶を具現化するかたちでまとめるのがいいと直感した。

 そこで、自分の見ている夢をもうすこし省察して、特徴を数え上げてみた。見つけたのはこんな要素だった。

・相手の顔は見えていそうで見えていない。

・カラーよりモノクロのシーンが多い気がする。

・いつも同じ夢を見るが、よく思い返すと毎回どこかが違う気もする。

・そのイメージは非常に脆くて、崩れやすい。直視しようとしたり、すこし時間が経てば消えてしまう。

 こうした状態を表現するにはどうしたらいいか。試行錯誤の末、奥山はまずひとつの作品内に、同じ写真を一定間隔で何度も登場させた。ただし、たまに上下を逆位置にしたり、微妙にトリミングを変えた写真を差し挟んだりもした。

奥山由之「Girl」より

 通常、写真集や展覧会で目にする作品というのは、すべて異なる写真で構成されている。すこしでもたくさんの写真を見せたいと思うのが作者の気持ちだろうし、一枚の写真で語るべきことはその中で完結させるのがベストに決まっているという思い込みが、作者にも観る側にもあるからだ。

 しかし奥山はここで、作品づくりの「常識」なんてあっさりと無視した。自分の表したいものを十全に表すには、同じ写真がループすることは必要不可欠だった。

「写真を観る人がページをめくったときに、あれ、これ前にも見た気がする……とあちこちページを行き来してくれたら、それは人が記憶を呼び起こしていくとき頭の中でする、記憶を遡る行為に近いんじゃないか。人の内側にあってかたちのないものを、具現化していくってこういうことじゃないかと思ったんです」