文春オンライン

写真家・奥山由之が明かす、大学時代の“星の時間”という原点

アートな土曜日

2020/02/08
note

奥山由之の「原点」

 観る側の強い共感を生む奥山由之の伝達力は、思えばキャリアのごく初期のころから確立されていた。それがどのようにかたちづくられたかを知りたい。そう考えて奥山本人に話を聴けば、起源はどうやら大学時代に遡るらしい。彼が身をもって体験した「星の時間」とも呼ぶべき瞬間が、その特別な能力を帯びるきっかけだったのだ。奥山由之がみずから開陳した当時の出来事をたどってみよう。

撮影 Kazuo Yoshida

 東京に生まれ育った奥山は、小学校を出ると中高一貫校へ進んだ。男子校だったこともあり、思春期を通して家族以外の異性と話したことがまったくなかった。

 大学に入ると一転、教室には女性もいる生活となった。それが彼には異常事態だった。どう接しふるまえばいいのか、まったくわからない。それどころか、道で同世代の女性とすれ違うだけでも緊張し、赤面してしまう。雑踏で、まともに前を向いて歩けないほどだった。

ADVERTISEMENT

 自意識過剰だ、と言われればその通り。でも、思春期に順を追って体験しておくべき感情がいちどきに降りてきてしまって、どうにも整理がつかない。

「モヤモヤと浮遊した、言葉にならない感情が体内にどんどん溜まっていくみたいで、毎日気分が悪くてしかたなかったです。次第に、気持ちが内向きに籠り、言葉を交わしてだれかと何かを分かち合うなんてことはあり得ないと思えて、人と接することがどんどん憂鬱になっていった」

 と本人は言う。

 大学からも足が遠のきがちになっていた2011年3月、東日本大震災が起きた。奥山はそのとき、地下鉄表参道駅にいた。構内は激しく揺れて、生命の危機を生まれて初めて感じた。これはもう助からない……。あきらめて、駅のホームに座り込んだ。

「そのときに思ったんです。このまま死んで身体がなくなってしまったら、自分の生きた証なんて何も残らないんだなと。これまでそれなりに思い悩み、あれこれと湧き上がる感情に出会ったはずだけれど、そういったものは跡形もなく消えてしまうのかと」

感情や記憶を留め置きたくて

 幸い日常へ戻ることができたのだけれど、心情には大きな変化が起きていた。

「自分の感情や記憶を、かたちにして残しておきたい。言葉にならない気持ちを、なんとか留めておけないものか。そう強く思うようになりました」

撮影 Kazuo Yoshida

 かたちなく言葉にもなっていない何かを、表現として留めておきたい。それが奥山の「やりたいこと」になった。

 もともと中高生時代から映像制作に傾倒していて、すでにいくつも実作を試みていたのだ。大学では、入学当初に友人に誘われて、カメラサークルに所属していた。そこで表現手段は定まった。写真で自分の感情を残したい。そう考えたものの、かたちのないもの・言葉で表せぬ思いをどうやって写真に落とし込めばいいのか、なかなか糸口が見つからなかった。

 ならばいま自分の感情が最も注ぎ込まれている対象を撮ってみたらどうか。そう決めると、おのずと被写体も決まった。同じサークルにいたひとりの同級生。友人の恋人だったが、奥山は彼女にひそかに想いを寄せていた。

「相変わらず異性とどう会話すれば良いのかもわからない自分のままでしたが、カメラサークルなんだから、まずはカメラの話をして……それで、『写真を撮らせてほしい』と伝えればいいのかなと。思い切って声をかけて、撮らせてもらえることにはなったんですけど……」