脆く崩れやすいイメージを強く印象付けるために、ベッドのシーツを撮って作品に組み入れようと思い立った。
「朝起きて目にするシーツのドレープ、皺というのはそのときにしか形成し得ない奇跡的なかたちをしているじゃないですか。その日の僕の寝相が具現化されている。明日も同じかたちや模様が現れるなんてことはないし、すこしでも触れたらすぐに崩れてしまう。その儚さこそ愛おしく、まさに夢の脆さを具現化しているのではないか、と思って、しばらく毎日、シーツばかりしつこく撮っていました」
そうしてシーツを撮った写真も、作品に繰り返し登場することとなった。こまやかな陰影がついたシーツの表面は、モノクロ写真になると端的に美しい。見ているとこれは砂漠か山脈の光景かと錯覚してしまうのもおもしろい。小さい無数の凸凹がスケール感を狂わせるあたり、画家セザンヌが繰り返し描いたサント=ヴィクトワール山を思わせる。
「伝わる」ことが何よりうれしい
あれかこれかと思い悩む制作の日々を経て、厳密に並び順の計算された写真群は、一冊のファイルに綴じられた。ようやく奥山が思いを託した作品が完成したのだ。
気づけばちょうど、新しい写真家を発掘するための公募展「キヤノン写真新世紀」が、作品を募集している時期だった。毎年1000を超える応募作品から数名の優秀賞が選ばれ、受賞者はグループ展を開く。その展示内容も踏まえて公開審査会が開かれ、グランプリが決まるコンペティションだ。これまでに蜷川実花、佐内正史、野口里佳ら、現在第一線で活躍する写真家を多く輩出してきた。
誰かにこの気持ちを理解してもらえたらと、作品を応募してみた。
作品を送ったあとはしかし、また灰色の毎日だった。作品ができたからといって、女性と関わることの苦手意識が和らいだわけじゃなかった。それどころか、人がたくさんいるところがいっそう苦手になって、大学の授業に出るのもつらい。合間の時間はトイレに籠っているような日々が継続していた。
そんなある日、見慣れぬ番号から着信があった。出れば「写真新世紀」の事務局からで、審査員のひとりだった写真家ヒロミックスの選により優秀賞になった旨を知らされた。
自分のもとに、一筋の光が射した気がした。
「強烈的な出来事でした。賞をとれたからという嬉しさはほとんど無くて、自分が本当に何かを伝えたい、わかってほしいと思いながら為した表現に対して、『わかるよ』と手を差し伸べてもらえたことがとにかくうれしかった。
だって、少なくとも1人はこの世界で、僕の作品を選んでくれたヒロミックスさんだけは、『あなたの思っていることが、あなたの見たもの感じていることが、私にはわかるよ』と手を伸ばしてくれたわけじゃないですか。うれしいというよりも、助かった……、救われた……、というほうが近かったです」