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「絞め殺されているな、これは」「どうして。なぜ?」

「絞め殺されているな、これは」と言うと検視官は驚いた。なんで頭蓋底(ずがいてい)の写真を見てそんなことが分かるのかと、不思議に思ったのだろう。「どうして。なぜ」を繰り返した。頭蓋底の写真と絞殺(こうさつ)がどうしてつながるのか。検視官はそれが不思議でならなかったのだ。

 私は解剖学の本を広げ、頭部顔面の血管分布図を示しながら説明した。

©文藝春秋

「顔にうっ血があり、首に索条痕があれば、絞殺したことはすぐ分かってしまう。強盗に入り金を奪い逃げる時、放火すれば顔のうっ血、首の索条痕は焼却され、証拠はすべて消滅できる。かなり考えた知能犯のようだ。法医学の鑑定としては、これは犯人との知恵比べになるのでおもしろいケースだ。やる気が盛り上がってくるね」。私は自信を持って検視官にそう言った。検視官は半信半疑で私の顔を見ていた。

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 解剖学の図を指さしながら、「頸動脈の分布を見れば分かるように、同じ血管が頭蓋骨にも分布しているでしょう。だから顔に強いうっ血をきたして死亡すれば、頭蓋底にも必ずうっ血が出現する」。解剖して頭蓋冠(ヘルメットに似た頭頂部の骨)を除去し、脳硬膜を開けて脳を取り出すと、ドクターは脳の精査に集中し、頭蓋底は骨折の有無を見る程度で終わりである。頭蓋底を詳しく観察するドクターはいない。

顔のうっ血と首の索条痕を焼却しても残った証拠

 私は溺死の研究で頭蓋底の錐体(すいたい)内出血を立証し、頭蓋底を詳細に観察する習慣があったから、顔に強いうっ血をきたして死亡するケースは、頭蓋底にもうっ血があることを知っていた。医学を知らなくても、私の説明でお分かりいただけるだろう。川を塞ぎ止めれば、上流に水が溢れるのと同じである(下の図参照)。

©文藝春秋

「骨は一般に蒼白であるが、顔にうっ血をきたして死亡した人の頭蓋底の骨は、うっ血のため淡青藍色(たんせいらんしよく)に見える。そんなことは世界中の法医学の教科書を見ても、どこにも書いていない。私の新しい知見なので知る人は少ない。しかし説明の通りの理屈でお分かりいただけるでしょう」

 検視官は「なるほど、分かります。顔のうっ血と首の索条痕を焼却しても、頭蓋底にうっ血があるから絞殺の事実を立証できる。これはすごい。さすがは先生、ありがとうございました」と驚きと感謝を繰り返し、帰っていった。