「解剖すると何か不都合なことでもあるのでしょうか」
埒(らち)があかないので私は「解剖すると何か不都合なことでもあるのでしょうか」と言うと「え? 私を疑っているのですか」。しばらく間があったが、息子は「勝手にやれば良かろう」と言い、部屋を出ていった。そんな経緯であったが、とりあえず監察医務院で行政解剖をすることにした。警察官も解剖に立ち会った。もしも絞殺などが明らかになれば、直ちに司法解剖に切り換えることにしていた。
気管の中に泡沫があり、気管粘膜はうっ血し、肺もうっ血していた。肺胸膜に溢血点があり、やはり窒息死のようであるが、頸部に絞めたような痕跡は見当たらない。鼻口部閉塞の窒息かもしれないと思ったが、鼻口部を押さえて閉塞したという痕跡は、死体に残りにくいから実証できないので、推定の範囲を出ない。容疑者の供述を待たなければならない。後日警察が息子を厳しく調べたところ、父親を寝床の中で、顔に布団をかぶせ鼻口閉塞させて、窒息死させたことを自白した。介護疲れの犯行であった。すぐ司法解剖に切り換わったので、私は鑑定書を書き検察庁に提出した。気の毒な事件であったが、溢血点が粟粒大と大きく、病死の溢血点とは違うことによって、解決したケースであった。しかし、まれに例外もあるので注意深く観察する必要がある。
人権を守り悪者を捕えることができる、小さな溢血点
溢血点はその有無が重要なので、大きさには意味はないとされているのだろう。しかしそうではない。溢血点の大小によって、死因が異なることがあるのだ。これを問題視していないのは、日本の大学の解剖のシステムに原因があると思われる。大学は殺人事件のような司法解剖しか行っていない。しかも解剖台に上げられた裸の死体を解剖するだけだから、現場は見ていないし、着衣も見ていない。解剖所見を記録しているだけなのだ。しかも病死、事故死、自殺などは扱わない。
ところが監察医は警察官と一緒に現場に行き、検死し、死因が分からなければ行政解剖をする。病死(元気な人の突然死)はもちろん、事故死、自殺、他殺などすべての変死を現場で検死し、死因が分からなければ行政解剖する。そうやって1つの事案に深くかかわり、判断しているので、大学の司法解剖とは全く違う。したがって窒息の溢血点と病的発作の溢血点の大きさの違いが分かるのである。
この小さな溢血点によって、人権を守り、悪者を捕え、世の秩序を維持することができるのである。
死斑の色に、まぶたの裏に、頭蓋骨の奥底に、本当の死因は隠されていた――元監察医が2万体を超す検死実績から導き出した数々の症例が『死体は語る2』(文春文庫)に修められています。「極寒のなかの凍死体は、なぜ裸だったのか?」「18ケ所も刺した犯人像とは?」推理しながら、ぜひお楽しみください。