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奨励会には小中学生で入るという“常識”を知らなかった

――沖縄にいた頃は将棋が強くなる環境に恵まれてなかったのでしょうか?

知花 道場にもたくさんお客さんがいるわけではなく、同じ人とずっと指していることが多かったです。その中で相手の長所を吸収していく感じ。プロ棋士もいないから指導を受ける機会もありません。教室もなかったので、道場にあったNHK将棋講座のテキストで戦法を覚えたりしました。でも、そのとき自分より強い人と指して教えてもらうこともたくさんできたし、良い人が周りにいて環境に恵まれていたと思います。

 知花さんから、高校を卒業する直前に「全国レーティング選手権沖縄県予選」で優勝したときの、地元紙に掲載された観戦記を見せてもらった。奨励会を3級受験する予定であることが紹介され「才能は高い評価を受けているから、合格を信じて疑わない」「沖縄県内の大会に参加するのも最後かもしれない。プロ入りしてそうなってほしい」など、沖縄の将棋関係者から応援されていたことが分かる文章が並んでいた

――18歳で奨励会に入るのは遅すぎると言われなかったですか?

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知花 それが言われなかったんです。沖縄には、小学生から将棋漬けで奨励会に入るなんて子はいませんでしたから、奨励会には小中学生で入るのが当たり前という“常識”を知らなかったんですね。自分としては、将棋が好きなので、大学とか専門学校の代わりに奨励会に入るような感覚でした。

家庭訪問の後、自宅にて祖母(おばあ)と(知花さん提供)

最初は沖縄時代の知り合いと5人の共同生活

――親御さんに反対されませんでしたか?

知花 両親は1歳のときに離婚しました。母とは離れ、父の側に引き取られました。その父は仕事をしないで家に帰らないことも多く、進路について相談する相手ではなかったんです。祖父母と叔母に育てられたのですが、勝手に東京に出てきた感じです。祖母は心配して電話してきたし、よく食べ物を東京に送ってくれました。叔母も、最初のうちは仕送りをしてくれました。

 

――生活に困りませんでしたか?

知花 最初は1Kロフト付きの部屋で沖縄時代の知り合いと5人の共同生活でした。高校時代のバイトで貯めたお金はすぐになくなってしまい、所司先生の紹介で佐倉市の将棋道場でアルバイトをして食いつないでいました。その道場の席主さんは、沖縄から1人で出てきた私のことを心配し、世話を焼いてくれました。そして家賃も取らずに居候させてくれる方を紹介してくれたのです。将棋好きのその方の家で、1年くらいお世話になり、少しは貯金もできてから一人暮らしを始めました。

写真=山元茂樹/文藝春秋
撮影協力=ボードゲームカフェ「チャレンジ4」

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