「大丈夫なんて言わなければよかった」と後悔
――退会後アマになってからプロ公式戦は3勝2敗です。折田アマのようにプロ編入試験を目指す考えはありますか?
知花 もっとプロの棋戦で勝てたら考えるかもしれません。プロアマ戦のように、下の立場の者が上に挑戦して勝つということには憧れを持っています。
――1年半前の朝日杯では、大橋貴洸四段(当時)に勝って注目されましたね。知花さんは関東在住なのに関西のブロックに入りました。
知花 連盟から「大阪対局でも大丈夫か」と連絡がきて、「どちらでも大丈夫です」と返信しました。そうしたら当時勝率2位の大橋四段と当たることになり、「大丈夫なんて言わなければ良かった」と後悔しました(笑)。1週間前には新しいスーツを買って気合いを入れ、大橋四段得意の角換わりを勉強しようと棋書も買いました。前日に藤井聡太七段と八代弥六段(当時)の新人王戦の中継があり、それを見ながら角換わりの勉強ができたのも良かったです。
今回の竜王戦・高野六段戦のときも新しいスーツで、前日は藤井七段の朝日杯があって、中継を見て勉強しました。スーツと前日の藤井七段の対局は幸運を呼んでいるのかもしれません。
大橋四段戦勝利の夜には、AbemaTVで藤井七段のフィッシャールールの早指し戦が放送されて見ていました。自分が考えた手が次々当たり、その日は1日冴えていました。教室の生徒さんも喜んでくれたのですが、小学生の強い子には「意外だった」と言われ、先生を舐めるなと思いました。
――主要アマ大会で全国優勝すると得られる三段リーグ編入試験の権利は、昨年支部名人戦で優勝して獲得しました。そのときは編入試験を受けませんでしたが、迷ったりしませんでしたか?
知花 ……権利があったんですね。気が付きませんでした。
本格的に将棋に興味を持ったのは中学から
――話は戻って、子どもの頃のことを聞かせてください。奨励会に入ったのが18歳と遅いですが、将棋を始めたのも遅かったのですか?
知花 小学校2年くらいの誕生日に将棋セットを買ってもらったのが、将棋を知った最初だったと思います。家族が将棋好きだったわけでもなく、戦法も詰みも分からないまま、玉を取るゲームだと思っていました。
小学校3年のときに友達に誘われて、少年野球のチームに入ってからは、野球中心の毎日に。強いチームで、首里地区大会、那覇地区大会、沖縄県大会と勝ち抜いて九州大会に出場したりしました。もちろん練習はハードで、土日は朝8時から夜は7時くらいまで練習漬け。
本格的に将棋に興味を持ったのは中学に入ってから。新しくできた友達が将棋好きで、電話帳で将棋道場を探してくれ、一緒に行ったのが初めての道場でした。道場初段のおじさんに六枚落ちで指してもらい、「6級くらい」と言われました。それが将棋の魅力にはまった最初です。