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――それからは、道場通いを始めたのですか?

知花 それが、中学でも野球部に入っていて、やはり強豪校でしたからヘトヘトになるまで練習する毎日でした。せっかく将棋を好きになったのに、月に1回くらいしか道場に行けませんでしたね。野球の試合でコールド勝ちすると早く帰れて、道場に行けるのが楽しみでした。野球への情熱は冷めて、かわりに将棋に気持ちが移っているのは感じました。

 部活引退の中3の夏からは、みんなが受験勉強する中、将棋道場に通って思う存分将棋をしました。高校に入る頃には初段になっていました。

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中学生時代、野球部の試合で打席に立つ(知花さん提供)

高1で将棋の全国大会ベスト8に

――高校では本格的に将棋を?

知花 高校でも野球部に入ってしまって。でも、将棋のせいか、野球に必要な目は悪くなるし、道場のタバコの煙で鍛えてきた体力も落ちた感じがしました。高1の夏前に、道場で知り合った人に勧められて、初めて学生の大会、高校竜王戦の県予選に出ました。野球と違って、県大会だというのに自分を含めて5人だけ。自分が初段であとの4人は三段の総当たり戦で、優勝して福岡で行われた全国大会に行きました。そしてベスト8に入りました。

――高校の全国大会で上位に入る子は、たいていは中学から全国大会に出ていますから、急激に力をつけたのですね。

知花 そうですね。自信になって、将棋の才能があるのではないかと思いましたね。競技人口も少ないし、野球より上に行きやすいかもしれないと。そして、野球をやめる決心をしました。部員みんなの前で、やめますと挨拶をして退部。野球への情熱は冷めていたはずなのに、野球部に再入部する夢を見たりしました。

 高校将棋の全国大会には何度も行き、最後、高3の高校竜王戦では全国3位に入り、将棋の強豪大学からスカウトもされたのですよ。

「知花ならプロになれる」

――その大学に行こうとは思わなかったのですか?

知花 大学に行くための勉強をして来なかったし、中学の時の先生に「勉強したいことがないのに、大学に行っても意味がない」と言われたことが心に残っていて、行こうとは思いませんでした。進学実績になるからか、高校の先生からは行くようにかなり勧められましたけれど(笑)。高校を卒業したら、どうするか何も考えてなかったんです。

 

――奨励会に入ることにしたのはどうしてですか?

知花 高校3年間で強くなって、一般の大会でも優勝して県代表になり、沖縄ではトップクラスになっていました。そんな私の面倒を見てくれる人もいて、車で道場や大会に送り迎えしてくれました。沖縄は交通の便が良くないので、ありがたかった。徹夜で将棋を指して、そのまま大会に行くこともありましたね。

 その人が、沖縄県出身者で初めて奨励会三段になり、年齢制限で退会して戻ってきたばかりの城間春樹さんと引き合わせてくれました。高校2年か3年の時です。城間さんとはたくさん指し、最初のうちはずいぶん負けました。その城間さんが「短い期間で環境も良くないのに、よくここまで強くなったね」と褒めてくれ、「知花ならプロになれる」と言ってくれました。他にも奨励会受験を勧めてくれる人がいて、将棋連盟の沖縄県支部連合会の当時の会長さんが、所司和晴七段を紹介してくれることになりました。高校を卒業して1週間で上京しました。