有無を言わせない暴力を「ちぎれる」という描写でしているのかもしれない
――戦争を描くにあたっては残酷な場面や暴力描写に向き合わなければならないと思います。『cocoon』に限らず、たとえば『いちご戦争』だと、ポッキーに串刺しにされる少女兵、『ぱらいそ』だと空襲で一瞬にして絶命する少女……。今日さんが暴力を描きながら考えていることとは、どういうことなんでしょうか。
今日 そうですね……、戦争の暴力って、自分の体が一瞬でちぎれる怖さみたいなものだと思っていて、その怖さは忘れないようにして描いています。それまで元気にキャッキャ言っていた少女たちが、一瞬の爆発でちぎれて肉片になって飛び散っていくことの恐怖というか。
――斬られたり、撃たれたりするものとは違う、恐ろしさのようなものですか?
今日 抵抗することも、考えることも、恨むこともできない、一瞬で全てが終わることの恐ろしさというか……。そういう有無を言わせない暴力を、身体的に見せつけるのが「ちぎれる」という描写なのかもしれません。
――激しい描写とは別に、ちょっとした体の動きがあるコマも印象に残ります。たとえば『cocoon』の中に、洞窟の中で立ったまま眠ってしまう少女の場面がありますよね。
今日 この場面は、本当にそういう話が残っていて、それを元に描いているんですけど、今の人だってあまりに疲れて帰りの電車で立ったままウトウトすることありますよね。状況は全く違うけど、身体的に共感できるというか、想像できる回路がそこにある気がするんです。
――一方で、今日さんの作品には甘いものとか、宝石とか、戦争の対極にあるようなものがよく登場しますよね。
今日 特に『ぱらいそ』は大人への過渡期にある女の子だったり、娼婦である少女が登場することもあって、香水とか宝石とか、キラキラしたものを意識的に出しています。もちろん史実通りに細部を描くことも可能なんですけど、それは学習漫画とかで学ぶことができると思うんです。私がやろうと思っていることは、むしろ今の女の子が読んで、ちゃんと通じるようなリアリティーを描き込むこと。現代と戦中がイメージ的にごっちゃになってでも、読んでくれている人に「自分たちの物語」としてちゃんと消化してほしいな、と思っているんです。だから、親しみやすいものを描き込んだり、あるいは身体に訴えるような描写を入れたりしているつもりです。
――今日さんが戦争を描く理由はそのあたりにあるのでしょうか。
今日 なぜ戦争を描くのかと言われれば、かつての少女も今の少女も、同じように生きて死んでいったよ、ということを画を通して伝えたいからですね。今も昔も変わらず、同じようなことに悩んだり、笑ったり、疲れたりしていたという。現在が過去と断絶してるわけじゃないことが、感覚として伝わるといいなあと思っています。理想は水木しげる先生の戦争漫画です。