才能豊かな歌人、そして若くして暗殺された悲劇の将軍として名を残す源実朝。だが鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』に記された彼の日常が、夢のお告げや怪奇現象などが頻発するオカルティックなものであったことはどのくらい知られているだろう。時代伝奇作家・宇月原晴明の代表作『安徳天皇漂海記』の第一部は、この実朝の身に降りかかる怪異を側近の視点から描いている。
二十六年前、八歳の安徳天皇は平家一門とともに西海に沈んだ。その安徳が、琥珀の玉に包まれて生前そのままの姿で実朝の前に現れた。幼帝に魅入られたかのような実朝の後半生が、史実と虚構をない交ぜにした壮大な構想のもとに、哀しく、格調高く綴られてゆく。
第二部は実朝の死から約六十年後が舞台。大陸に覇を唱える大元帝国の勢いの前に亡国を余儀なくされた南宋には、奇しくも安徳と似た境遇の幼帝がいた。そこに、琥珀に包まれて海を渡ってきた安徳が現れ、二人の少年の魂は通じ合う。
著者は畏るべき博覧強記の作家である。山本周五郎賞受賞作である本書も、『吾妻鏡』や『平家物語』、実朝の歌集『金槐和歌集』などの古典から自在に引用が行われ、また全篇の構想自体が澁澤龍彦の小説『高丘親王航海記』へのオマージュとなっている。それらの原典や史実を知っていればなお楽しめるのも事実だが、知らなかったとしても、膨大な知識を再編してあり得ざる秘史を読者に幻視させる伝奇的想像力と、耽美を極めた文章力が無双の領域にあることは感知できる筈である。
しばし現(うつつ)を忘れ、絢爛たる幻想の世界に酔えること必至の傑作がここにある。(百)