昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2020/02/26

「私の共犯者はフランスであった」

 以上が「タレーランの六つの裏切り」である。ルイ16世のブルボン王朝、カトリック教会、革命政府、革命政府崩壊後の総裁政府(1795~99年)、ナポレオン帝政(1804~14年)、ブルボン復古王朝(1814~30年)と、次から次へと裏切り続けた経歴には、唖然とせざるを得ない。

 過去3000年間の世界史において、これほどまでに多くの裏切りと変節を繰り返し、しかも最後まで政権に参加し続けた政治家はいない。まさに非人間的なモンスターである。

 厚顔で鉄面皮なタレーランは自分の変節行為について、「私は不道徳な陰謀策士とみられてきたが、実は私は冷静な態度で人間たちを軽蔑していただけなのだ。……私が策略や陰謀を企てたのは祖国を救うためであり、私の共犯者はフランスであった」と述べていた。

©iStock.com

皆が嫌悪し、呆れ果てて賛嘆してしまうタラーレンの才能

 これは単なる言い訳、言い逃れとも聞こえる。しかし彼の「私は、冷静な態度で人間たちを軽蔑していただけなのだ」という言葉には、真実味がある。タレーランほど人間の弱みを見抜き、軽蔑していた人はいなかった。

 同時代の作家、ジョルジュ・サンドは、「タレーランは生涯、崇高な感動を覚えたことがなかった。彼には、『誠実』という観念が理解できなかったのだ。タレーランは遠い世界から訪れた異様な人物であり、例外的に醜悪な存在であったから、皆が彼を嫌悪し、そして賛美の眼差しで彼を見つめていた」と述べている。

 タレーランはあまりにも醜悪な人物なので、「皆が嫌悪し、呆れ果てて賛嘆してしまう」のであった。

©iStock.com

 しかし1814年春にナポレオンが失脚し、敗戦国フランスが敵国軍に占領された後のタレーランの政治行動と外交政策を観察すると、「私が策略や陰謀を企てたのは、祖国を救うためであった」というタレーランの“言い訳”にも、かなりの真実味があったことが理解できる。祖国敗北の後、悪名高き“裏切りの常習犯”であったタレーランは、自分が「偉大な忠国者」であることを証明してみせたのである。

 多くのフランス人から「悪魔!」「毒蛇!」と罵られてきたタレーランの冷静なリアリスト外交が、敗戦国フランスを救ったのであった。

#2へ続く

この記事の写真(6枚)

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー