昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

醜悪すぎた外交家・タレーラン「ここまでしてなぜ暗殺されなかったのか」6つの裏切り

“悪辣な政治家”・タレーランから学ぶ外交戦略 #1

2020/02/26

 歴史上、多極構造の世界を安定させるため、諸国はバランス・オブ・パワーの維持に努めてきた。そんな過去三世紀の国際政治史において重要な仕事を成し遂げたのが、3人の外交家――ビスマルク、タレーラン、ドゴール――である。

 なかでも、数々の反逆行為を繰り返しながらもその優れた外交技術でナポレオン失脚後のフランスを救った、“悪辣な政治家”・タレーラン(1754-1838)とはどんな人物だったのか。歴史に残る外交官から学ぶ“外交戦略”――。

※本稿は、伊藤貫著『歴史に残る外交三賢人』(中公新書ラクレ)の一部を、再編集したものです。(全2回の1回目/#2も公開中)

有力な既婚女性たちと不倫に退屈していた

 体制派の有能な教会官僚でありながら、反社会的な快楽主義を大胆に実践する非行貴族、という明らかに矛盾した人生を送っていたタレーランは、政治的な野心家であった。

 彼は教会体制内で自分がスピード出世したことに満足しておらず、しかも多数の有力な既婚女性たちとの不倫関係にも退屈していた。つまり彼は、「パリ社交界の爛熟した生活を満喫する、危険な不満分子!」だったのである。

 そしてこの「クールな悪徳司教」タレーランが35歳の時、フランス革命が勃発した。彼は即座に革命運動に便乗し、政治権力と名声を獲得しようと動き始めた。彼のその後の人生は、あからさまな裏切りと変節の繰り返しであった。

シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール

※タレーランのように何度も苛烈な変節行為を繰り返した男が、「大革命・ナポレオン独裁・ブルボン王政復古」というフランス政治史上で最悪の激動期を暗殺もされずに生き延びたのは、実に不思議なことである。

 以下に、「タレーランの六つの裏切り」を列挙してみよう。

反教会主義に翻り、さらに外国へ亡命

(1) 1789年のフランス革命に「聖職者層」の代議員として参加したタレーランは、即座に「第三身分層(市民層)」の反教会主義に同調して、「フランス革命政府は、カトリック教会の全財産を没収すべきである」と主張し始めた。当時のフランスのカトリック教会は、全国土の15%を所有する大地主であった。

 革命直前まで、教会本部の高官として教会の既得利権を守るために奮闘していたタレーランが、あっという間に反教会主義陣営のリーダーに変身したのである。その結果カトリック教会は、全財産を没収されてしまった。

サンドニ聖堂のルイ16世とマリー・アントワネットの像 ©iStock.com

(2) 1792年8月、過激化した革命政府はルイ16世の王権を剥奪し、国王一家を幽閉した。同年9月には、暴徒化したパリ武装民衆による貴族と王党派の無差別虐殺が始まった。革命推進派であったはずの「プリンス」タレーランは即座に革命政府に愛想をつかし、さっさとイギリス、そしてアメリカに亡命してしまった。