四十にして惑わず。40歳になれば見極めがつき、途方にくれることもないと『論語』は説くわけですが、そうは言っても人それぞれの「不惑」があるものです。「今にしてみれば考えすぎていた頃だった」という落語家・柳家三三さんの“40歳のころ”。

柳家三三さん

◆ ◆ ◆

「自分に心構えがなかった。覚悟がなかった」

――柳家小三治師匠に入門されたのが1993年、当時18歳でした。

ADVERTISEMENT

三三 ええ、師匠がそのころもう50代半ばですよね。僕は小1から落語が好きで、寄席に通うようになったのが中1から。初めて寄席に行ったのは、昭和62年、1987年8月20日の浅草演芸ホール昼席なんですけど、客席に座ってて「居心地がいいなあ」って思えたのが、うちの師匠の高座だったんです。師匠の弟子になりたいと思ったのは本当にそれだけがきっかけ。

――真打昇進が2006年、31歳のことでした。若くして真打になることで戸惑いはありませんでしたか?

三三 自分で思っていたよりもお客様が見てくださっている、足を運んでくださっていることに戸惑ったところはありましたね。別に売れっ子になってる気分はないんですよ。ないんだけど、地に足がついてないっていうか、まあ、自分に心構えがなかった。覚悟がなかったんでしょうね。それでどうしよう、どうしようと思うばかりで、どうしようもなくなっちゃった。

 

「今になっては思う。どうしてあんなに考え過ぎたんだろう」

――その悩みを小三治師匠に相談したことはあるんですか。

三三 ほとんど自分から師匠に相談することはないですから、このときも特に何も話していないと思います。

――どんなことで「どうしよう」と思ってしまったのですか。

三三 お客様全員が「どうせこの先はこういう展開があって、こういうオチなんでしょ」って分かっていて、そういう目で見ているって思い込んでしまったんです。高座で繰り返し喋っているうちに、「じゃあ、どうすればいいんだろう」って、それがどんどん悩みになってきた。考えるアタマを持ってないくせに、どうしてあんなに考え過ぎたんだろう。今になっては思うんですけど。