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桂歌丸亡き後の落語はどうなるか 「昔はよかった」はいつの時代も嫌われる

2019年の論点100

2019/02/24
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『文藝春秋オピニオン2019年の論点100』掲載

 噺家・桂歌丸が亡くなった。

 寄席や落語という娯楽をテレビを通じて全国津々浦々まで浸透させ、「落語を聞きに行く人」を数多く作り出したその功績は絶大だ。

 初めて落語を聞きに行くとき、知らない噺家の名前が並ぶ興行よりも、「桂歌丸」の名前があることで得られる安心感は計り知れない。そうやって生の落語に接した人の中の何割かは、そのままのめり込んで落語好きになる。勢い余って噺家になってしまう者もいる。でも、元をたどればきっかけとして、「笑点で見た桂歌丸」が何らかの形で関与しているケースは少なくない。

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 そんな大きな存在を失った東京の落語界は、いったいどうなってしまうのか――と心配する向きもあるが、じつは、特に変わる気配はない。歌丸は、きちんと準備をして旅立っていったのだ。

©文藝春秋

 初めて寄席に入った客は、お目当ての歌丸が高座に上がると喜ぶ。しかし、その興行をすべて観て、あとでどの演者がよかったかを訊ねると、意外に歌丸の名前を挙げる人は少ない。出てくる名前は、昔昔亭桃太郎であったり、古今亭寿輔であったり、三遊亭笑遊であったり、その日初めて知った噺家の名前を挙げることが多いのだ。そして、次回はそこで興味を持った噺家の落語を聞こうと寄席に行き、そこでまた気になる芸人を見つける。そんなことを繰り返すうちに、本当に自分に合った噺家を見つける。

 これは歌丸に限ったことではなく、「笑点」のメンバーに総じて言える傾向である。彼らは寄席や落語会への集客という面において、圧倒的な力を持っている。しかし、彼らが呼び込んだ客を「ファン」として根付かせる役割は、また別の芸人が担当することが多い。一種の連係システムがそこにはあるのだ。

 歌丸は、客を寄席に引き込む役割を見事に務め上げた。しかも、自分亡きあともそのシステムが機能し続けるように、春風亭昇太にその任を譲ってもいた。今後は昇太目当てに寄席や落語会に行く人の中から、落語ファンや新しい噺家が生まれてくるのだろう。