本書の著者は、ミステリー評論家としてだけでなく、「本の雑誌」元発行人にしてエッセイスト・目黒考二、競馬評論家・藤代三郎としても多彩な活躍をしてきた。
編集者、執筆者、そして経営者として多忙を極めた40代から50代にかけての20年間、月曜から土曜まで本の雑誌社に泊まり込み、自宅に戻るのは週に1度、競馬取材を終えた日曜日の夕方だった。
ほとんど家にいない父親は、本を読みながら息子2人のことをどう考えていたのか。小学生の兄弟が、進学、就職を経て各々の伴侶をみつけるまでの約30年間を、それぞれの成長にまつわるエピソードと、そこから連想される小説の名場面で織りなす、ユニークな読み物だ。
「僕の6冊目の“書評エッセイ”になります。『夜間飛行』など、ミステリー評論家の青木雨彦さんが翻訳ミステリーの洒脱な会話や人間関係を紹介しながら書いたエッセイが大好きで、真似して始めました。取り上げる本のジャンルは、ミステリーに限らず、小説なら何でも入れます。今までは男女関係や恋愛を中心に書いていたのですが、今回は家族向けの雑誌『プレジデント・ファミリー』の連載だったので、ネタが家族になりました。その割にカミさんが余り登場しないのは、恥ずかしいからです(笑)」
北上さんは息子たちが「異常に仲がいい」と書くが、読者からみると父子が「異常に仲がいい」。小さい頃はしばしば家族で遊びに出掛け、高校がつまらないという次男の相談に乗り、広告代理店で働く長男と何時間も飲む。一緒にいる時間は少なくても、愛されるコツがあるのだろうか。
「愛じゃないんです! 小学生の頃は、帰宅すると2人とも“お父さん!”と駆け寄ってくるので、僕も愛されていると誤解していた(笑)。後で考えると、あれはカミさんの教育の成果です。1週間、妻は子らの欲しがる漫画やゲームなどを一切買ってあげず“お父さんを待ちなさい”と言い続けた。だから僕がどんなに疲れて帰ってきても、“(デパートのある)町田に行こう、町田に行こう”とせがまれる。ウチには反抗期が一度もなかった。スポンサーに反抗できないですから(笑)。でも、“お父さんを待ちなさい”と言いながら育ててくれたカミさんには本当に感謝しています」
男性の育児休業が推奨される昨今の風向きには逆行しているようにも見える。
「以前、結婚を控えた若い人から“ぼくは目黒さんみたいな生活しませんから。ちゃんと家に帰ります”と言われて吃驚したことがあります。誤解して欲しくないのは、僕は、男なら家に帰らず仕事しろ、と勧めている訳では全くない。自分はこうしてきた、ということを書いているだけです」
全篇から伝わってくるのは、押しつけがましくはない、若者たちへのメッセージだ。苦労の末、内定を貰うも「まさか製薬会社で働くとは思ってもいなかったなあ」と呟く次男。主人公が仕事で大失敗するアメリカ小説『湖は餓えて煙る』に言及しつつ、こう続く。――それでいいのだ。(略)自分の気にいった服を探すのもいいけれど、いま着ている服を好きになること、そして自由に着こなすことも大切なのではないか。父はそう考えているのである。
「僕も会社を何度も変わったし、夢破れうつむく友人を多く見てきました。人生、思い通りにならないことの方がずっと多い。たまたま好きなことが出来ていたら丸儲けです。それより、現在の“ダメな”自分を肯定しつつ理想を仰ぎ見る方が、余程楽しいと思うんです」
きたがみじろう/1946年、東京生まれ。明治大学文学部卒。76年、椎名誠らと「本の雑誌」創刊、2000年12月まで発行人。『冒険小説論』で日本推理作家協会賞。『笹塚日記』(目黒考二名義)、『戒厳令下のチンチロリン』(藤代三郎名義)など。