「子どもの頃、家族で近所の和食レストランによく行きました。高校生時代にはバタモチにはまったこともあります。日本語クラスの同級生に教わった餅菓子で、フライパンにバターを溶かし、四角い餅を焼く。食べ過ぎて2、3キロ太りそうでした(笑)」
と、ハワイで生まれ育ったグレン・サリバンさんは語る。いまは来日のたびに妻の小手鞠るいさんと懐石料理を楽しむというサリバンさんは、最近刊行した『海を渡ったスキヤキ』で、1853年の黒船来航以来、150年以上にわたる、アメリカにおける和食の歴史を描いた。
「前著でお酒について書いた(『酒が語るアメリカ裏面史』)ので、今回は食について書きたいなと思ったんです。調べてみると、日本人の書いた和食の本は沢山あるけれど、アメリカの移民料理としての和食については、誰も取り上げたことがありませんでした」
アメリカでの和食の評価は、19世紀に遡る。脂っぽい肉料理が中心のアメリカの食生活を改革しようとする熱意に燃えた料理雑誌や家政学者が、理想的な栄養バランスの料理として和食に注目したのだ。
「大学図書館などのネットサーバーで、当時書かれた和食についての雑誌記事を見つけたときは、これだと思いました。
一方で明治維新後アメリカに渡った日本人出稼ぎ労働者たちが、ありあわせでつくる和食もありました。山中の鉄道建設現場の、二段ベッドを詰め込んだ古い貨車の宿舎で、彼らは慣れない手つきで小麦とベーコンと玉ねぎを使って団子汁をつくっていました。これが、アメリカでの和食文化のはじまりです」
しかし当初和食は日本人しか食べていなかった。なにしろ100年前のアメリカで「Japanese Restaurant」といったら、コスパとサービスで高い評価を受ける「日本人が経営する洋食店」のことだったのだ。
「日本人以外に和食が広がる画期となったのは、スキヤキでした。19世紀後半にアメリカに上陸し、1930年代に火がつきました。第二次世界大戦で火は一時消えましたが、60年代には大ブームになります。坂本九の“上を向いて歩こう”のタイトルが、“スキヤキ”に変えられたのは、それがポピュラーだったからです。なぜ当時のアメリカ人がスキヤキを愛したのかは、本書を読んでください(笑)」
いまでは鉄板焼きや寿司など、アメリカでも和食は珍しくないものになった。しかし和食は、いまだドイツ生まれのホットドッグ、イタリア生まれのピザほどアメリカに馴染んでいるわけではないとサリバンさんは指摘する。
「アメリカ人にとって、食の大半は移民が持ち込んで広めたものです。
和食文化の広がりは、カリフォルニアロールやドラゴンロール(海苔を内側にする巻寿司)のように、さらにアメリカ人好みに発展していくと思います。
その流れを加速する動きもあります。いまアメリカの和食店は、中国系の人が経営したり、料理したりする店が増えています。中国系の人がアメリカ人の好みに合わせた和食をつくるということで、アメリカの和食文化の変化はより大きなものになるでしょう。
この変化していく食文化のどこまでを“和食”と呼んでよいのかは、議論があると思いますが、食文化は世界中でますます複雑になっていきます。これまでの国境線に基づいた考え方から離れないと、これからの食文化は理解できなくなるかもしれませんね」
Glenn Sullivan/1962年ハワイ生まれ。イエール大学卒業。言語哲学専攻。84年に来日し、英会話学校教師、雑誌編集者、翻訳家として活躍。92年帰米し、コーネル大学大学院で学ぶ。近著に『酒が語るアメリカ裏面史』などがある。