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2020/03/09

 ただ、政策の選択はそれほど単純ではない。政府内には常に複数のシナリオが同時に浮上し、あるものは選択され、あるものは捨てられる。テーブル上の選択肢から政治的に有効な情報をキャッチして即座に反応する――その“反射神経”に鈴木の特徴がある。

都庁職員時代から備わっていた“反射神経”

 現在の情報感度を感じさせる逸話がある。

 まだ夕張市に派遣された都庁職員だった約10年前のある日、政権を担う民主党幹事長(当時)の小沢一郎も来るパーティーが札幌市内で開かれる、と耳にした鈴木はするすると伝手を辿り、その会場にもぐり込んだ。

民主党時代の小沢一郎氏 ©AFLO

 市職労経験のある夕張市幹部は「僕も連れて行ってくれませんか」と鈴木に頼まれたことを記憶している。

「連合や道内自治体の労働組合が中心になった集まりだから、東京から来た鈴木にとって知らない連中ばかり。いいのかと訊ねると、『いいんです、できればその人達も紹介していただけませんか』と言い出すから、この男は何を考えているのだ、と思ったものです」

 さらに会場に入ると、鈴木は連合北海道の会長も紹介してもらい「私は政治家志望なんです」と自己紹介して売り込んでいた。こうして中枢に貪欲に食らいついて反応しては有利なポジションを一歩一歩と獲得していくのだ。

1600世帯から意見を聞き取り、報告書を完成

 当時、夕張市の財政破綻から3年が経過し、政府は地方財政健全化法の改正にあわせ、再建計画の見直し時期にあたっていた。

 ここで鈴木は、一市民として参加する市民団体に諮って全世帯アンケートを企画した。企画だけでなく、自ら走り回って地方自治を学ぶ学生の力も借り、市内に住む全世帯の4分の1にあたる1600世帯から意見を聞き取って報告書を完成させた。

夕張市長時代の鈴木直道氏 ©AFLO

 挙句の果ては民主党政権の総務副大臣、渡辺周に持ち込むことでニュースに仕立て、忘れられかけていた「夕張問題」に再び脚光を集めることに成功する。

 その行動力は夕張市民の間で語り草になった。