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青アザや生傷が絶えない10年間……家庭内暴力に困り果てた家族がとった行動とは

『改訂版 社会的ひきこもり』より #2

2020/03/23
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会いに行きたいと哀願し続ける長男

 幸い、母親は軽い脳震盪と皮下出血程度で、入院の必要はないとの判断でした。父親はとりあえず近くのホテルに部屋を取り、そこから長男に電話を入れました。本人はひどく動揺しているようでした。

長男「俺のせいで母さんが死んだり、障害が残ったりするようなら、俺は自首して刑務所に入る!」

父親「母さんはそれほど悪くはないが、ともかくしばらく入院して、いろいろ検査することになりそうだ」

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長男「じゃあ俺が母さんの付き添いをするから、病院を教えてくれ!」

父親「お前に殴られたことを先生に話したら、当分は面会させない方がいいといわれた。だから入院先は教えられない」

 本人は、絶対にもうしないから教えてくれと懇願しましたが、父親は私の指示通り、頑として応じませんでした。

 翌日、母親が家に電話を入れました。長男は昨晩は一睡もできなかったようでした。

長男「母さん、ごめんなさい。まだどっか痛む? いつごろ帰って来れる?」

母親「怪我のほうは大したことないようだけど、いろいろ検査があるから、まだ帰れそうにないの。しばらくは父さんと二人でがんばってね」

長男「わかった。本当にごめんなさい。もう俺のこと嫌いになった? もう見捨てる?」母親「そんなはずないでしょう。でも先生の指示で、しばらくは面会もできないから、そのかわり電話は毎日するから」

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 長男はそれでも母親に許しを乞い続け、会いに行きたいと哀願し続けて、なかなか電話を切らせてくれません。母親はやむを得ず、話の途中で受話器を置いてしまいました。これも私が「電話は定期的に入れること、ただし必ず5分以内で切ること」と指示した通りでした。

父親と二人暮らしを始めると……

 母親は結局、しばらくは次男のアパートに同居することになりました。父親はそのまま自宅に戻り、長男と二人だけの生活がはじまりました。いざ二人だけになってみると、長男は意外なほど素直に家事もこなすようになり、暴力はすっかり鳴りをひそめてしまいました。母親は1日おきくらいに電話を入れ、長男もそれを待ちこがれているようでした。

 そのような生活が二週間ほど続いた時点で、私は再び両親と会いました。ここまでの経過は、ほぼ私の予想どおりの展開だったので、私は次の指示を出すことにしました。