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 別居生活が二カ月ほど続いた頃、長男の態度も次第に鎮静化してきました。もうあまり怒鳴るようなこともなくなり、変わって皮肉や嫌みが増えてきました。「帰ってきてくれ」ともいわなくなり「逃げちゃった人は気楽でいいねえ」「あんたの家なんだから、帰りたければ好きにすれば」といった調子になってきました。そろそろ次の対応に移る時期です。私は母親に、時期をみはからって、ちょっと帰宅してみるようにと勧めました。

母親が帰宅を決めたとき……長男は何を思うのか

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 母親は最初、かなりためらっていました。無理もありません。十年ぶりに暴力のない平和な日々を味わってしまうと、もとの生活の異常さや恐怖が、いっそう強く感じられるものです。しかしこれは母親の救済であると同時に、長男の治療が最終目的なのです。私はかなり強硬に母親を説得して、やっと同意を取り付けました。

 家を出て二カ月とちょっと経ったある日、母親はいつものように長男に電話を入れ、ごく当たり前のように「明日用事があるから家に行く」と伝えました。長男は驚いたようでしたが、「わかった」といったんは答えました。しかし少し話すうちに、だんだん腹が立ってきたのか、「逃げ出したヤツが今更なんだ、帰ってくるなといったろう、家に来ても絶対に入れないから覚悟しておけ!」などといいはじめました。しかし母親はあくまでも冷静に「そういわずに、久しぶりに一緒にご飯でも食べましょう」と応ずるのみにとどめました。

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 翌日、意を決して母親が家に帰ってみると、長男は出かけていていませんでした。母親を締め出すわけにもいかず、かといって顔を合わせるのもしゃくにさわるということでしょうか。母親は少し長男を待ってみましたが、夕方になっても戻らないので、あきらめて帰りました。しかし、何度かそういうやりとりを繰り返した後、長男はやっと母親を迎え入れる気持ちになったようでした。「父さんのつくる飯はもう飽きたから、たまには夕飯つくりに来て」という言葉が、そのサインでした。

三カ月ぶりの親子の対面

 その日ようやく、三カ月ぶりに母親は長男に対面しました。本人は照れくさそうでした

 が、あまり憎まれ口も利かず、母親のつくった夕飯をきれいに平らげると、そのまま自分の部屋に入ってしまいました。これを機会に、母親は頻繁に帰宅するようになりました。やがて私の指示を受けて、何日か泊まることも試みました。長男は時おり「逃げられるやつは気楽でいいよなあ、俺みたいなダメ人間には、逃げ場もないもんなあ」などと嫌みをいうことはありましたが、もう二度と暴力を振るうことはありませんでした。

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斎藤 環

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