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実は「何にも知らない」ことがバレている

 さてこのことは何を物語っているのだろうか。日本の会社は会議が多いと言われる。だがその会議の多くは、社員たちが課長や部長といった上司の意向に沿った形で説明を行い、彼らから受けるいくつかの質問に無難に答え、終了させるといういわば儀式のようなものが中心だ。

 ところが、web会議では、画面上でこそ全員が参加しているものの、上司の顔が常に映っているわけでもなく、寝転んでいようが、途中鼻くそをほじっていようが構わない。そして何よりも出てくる部長の服装がユニクロで、バックで飼い犬がわんわん吠える声が漏れていたのでは権威もなにもあったものじゃない。

 画面に映るどこか疲れた顔と意外にみすぼらしいダイニング。部長は自らの書斎さえもっていないのが日本のサラリーマンの実態なのだ。

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©iStock.com

 だから自由に発言できる。こうしたゲーム感覚で若手が会議に参加してくると、おのずと本音トークもしやすくなるというものだ。逆に環境に慣れていない上司たちは、これまではただ座って頷いていればよかった役割から「何か言ってください」とマイクを向けられることで、何かしら気の利いた発言をしなければならなくなる。その結果思わぬ「ボロ」が出てしまうことになる。

 これは社員たちからみれば、自分たちの上司である課長や部長が意外に「何にも知らない」という事実を垣間見てしまうことにつながるのだ。

日本企業にもたらされた思わぬ“副産物”

 大企業の上役たちの多くが毎朝、会社の門をくぐった瞬間にその日の90%の仕事を終えてしまっているというのが日本の企業社会の実態だ。

 だがこれから始まるテレワーク社会の進展は、これまでの日本企業の会議の在り方をもっと生産性の高いものに変え、意思決定の仕方にも大きな変革を促していくのではないだろうか。その結果として人事評価体系は変わり、会社という組織に対する順応性だけで評価してきたものが、職能で評価する時代に変わっていく可能性が見えてくる。

 コロナ禍は早くに収束させなければならないが、実は裏側で日本の企業社会に思わぬ副産物をもたらしてくれているのだ。